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ナマケモノに学ぶ「STAY SLOW」~ 辻信一と振り返る"スロー・イズ・ビューティフル"



コロナウィルスが世界を席巻し、グローバル経済は大きな壁に突き当たっています。多くの人が感染の不安に脅かされ、行動上の制限を強いられ、あるいは生活の基盤そのものを大きく揺さぶられています。その意味で確かにこれは大きな危機です。


しかしその一方で、“STAY HOME“が世界中の合言葉となり、私たちの手元に、突然、あり余る時間が舞い戻ってきたのも事実です。私たちがこんなに時間持ちだったのは、いったいいつのことでしょう。さて、この時間をどう生きるか、が私たちにとっての大きな問いとなったのです。


ニューヨークに住むシンガーのカヒミ・カリイさんはメッセージの中で、「今は良い世界に向かうために必要で大切な学びのとき」なのだと自分や家族に言い聞かせていると言います。また彼女の心に響いた、霊長類学者ジェーン・グドールさんのインタビューでの発言を引用していました。


「日々の小さな選択をするときに、その選択がもたらす結果を考えるようにすれば、誰でも毎日、影響を与えることが出来る。何を食べるか、その食べ物はどこから来たのか、その食べ物は動物を虐待してえられたものか、集約農業によって作られたものか、子どもの奴隷労働で作られたから安いのか、生産過程において環境に悪影響を及ぼしたか、どこから何マイル移動してきたのか、車ではなく徒歩で移動出来ないか。私たちが生活の中で出来ることは、一人一人少しずつ異なるが、私たち皆が変化を起こすことが出来る。誰もがだ」

イタリアの作家パオロ・ジョルダーノは『コロナの時代の僕ら』の中で、旧約聖書詩篇の一節、「われらにおのが日を数えることを教えて 知恵の心を得させてください」を紹介しながら、こう言っています。


「我らにおのが日を数えることを教えて、日々を価値あるものにさせてください。――あれはそういう祈りなのではないだろうか。苦痛な休憩時間としか思えないこんな日々も含めて僕らは人生のすべての日々を価値あるものにする数え方を学ぶべきなのではないだろうか。」(99頁)

今日はナマケモノ倶楽部創設後まもない頃に書かれた辻信一さんの文章を振り返りながら、今だからこそ私たちに必要とされる「STAY SLOW」の思想を学びたいと思います。(事務局with辻信一)

 
ミツユビナマケモノ。撮影:辻信一

スロー・イズ・ビューティフル

辻 信一


ナマケモノは中南米の熱帯雨林に棲む貧歯目の哺乳動物で、地上約10メートルから30メートルの高みで木の枝にぶるさがって一生の大半を過ごす。(フタツユビ・ナマケモノとミツユビ・ナマケモノがあるが、特に動きがスローで、無防備で「ナマケモノらしい」のは後者である。)


ナマケモノほど蔑まれてきた動物も少ない。客観的であるはずの科学者でさえほとんど感情的になって様々な罵詈雑言を浴びせてきた。あまりに「怠惰」で「鈍感」で「低能」な彼らは、到底きびしい生存競争に勝ち残ることのできない、生物進化史上の落伍者だというわけだ。特に西洋ではこうした偏見が何世紀も続いた。


しかし、近年の動物生態学はミツユビ・ナマケモノについて、驚くべき事実を報告している。まず彼らは普通の動物の約半分の量の筋肉で生活している、という。ミツユビ・ナマケモノの場合体重がたったの4、5キロほどだが、筋肉はその4分の1を占めるにすぎない。動きの遅さもこれが原因なのだが、逆に軽量なのでごく細い木にも登れ、それだけ捕食者から襲われる心配も少ない。枝にかぎ爪をかけてぶるさがったまま食べたり眠ったりというのも、低エネ・ライフスタイルの一部だ。体温が通常の低温点まで下がると、じっとして朝がくるのを待つ。そして朝になると木のてっぺんに登って日光浴をする。太陽熱による再充電というわけだ。


ナマケモノは排便排尿の度にゆっくりと木の根元まで下りていく。地上にいる様々な捕食者のことを考えれば、なんと危険で馬鹿げた習慣だということになりそうだが、最近の研究によってこの行為がもつ生態学的な意味が明らかにされつつある。木の上から糞をするかわりに、地面に浅い穴を掘ってそこに糞をして、枯れ葉でそれを覆うことも忘れない。


実はそうすることによって、自分たちを養っている木に、葉を食べて得た栄養価の50%を返しているのだという。熱帯雨林の土壌は、温帯林のそれと違って極めて貧弱だ。一年を通じて高温多湿のため、落ち葉や倒木などはただちにバクテリアや微生物によって分解されてしまい、豊かな土をつくらないのだ。熱帯雨林の木々はその根の尖端の90%が深さ10cm以内にあるといわれるのもそのためである。それだけに、ナマケモノの一見ささやかな排便習慣が、木々にとっては重要な意味をもつことになる。


いわばナマケモノは自分の命を支える木を、逆に支え、育てているわけだ。もうひとつ、ナマケモノに対する昔からの偏見に、セクロピアという一種類の木しか食べないというものがあったが、これも最近の研究で実は少なくとも90種の植物の葉や蔓を食べることがわかっている。しかも植物の種類に関しては、個体ごとに独特の好みがあって、一頭ごとに数本の好きな木の間を渡り歩くようにして暮らす。そうすることによって、他の個体との競争を避け、棲み分けを実現している。また母ナマケモノは自分の食物に対する好みを子どもに伝え、その子が自立する時には自分の木の一部を譲り渡して他所に移るという。


ナマケモノほど「共生」ということばにふさわしい動物もめったにないだろう。2、3種類の藻が灰茶色の毛のみぞの中に成育して、雨季には体全体を保護色である淡い緑色に変える。また彼らの分厚い毛の中はまさに節足動物たちの楽園だ。ある調査では9種類のガ、4種類の甲虫、6種類のダニが見つかっている。5キロにも満たないナマケモノが、100匹以上のガ、1000匹もの甲虫、そして無数のダニの棲み家になっているのだ。これらの虫たちが、ナマケモノの糞を栄養とし、また格好の産卵場としていることもわかっている。


というわけで、ナマケモノとは生物進化史における失敗例であるどころか、むしろあるニッチ(生態的地位)に見事に適応し、進化した好例だといえるだろう。地上の哺乳類たちが「より速く、より大きく、より強く」を標語に、激しい生存競争と栄枯盛衰の歴史を繰り広げるのを尻目に、ナマケモノは木の上でののんびりとした低エネ、非暴力平和、共生、循環型のライフスタイルに徹することで成功したのだ。


こうしてみると、ナマケモノの生き方には、21世紀の人類生存のために役立つヒントがすべてつめこまれているように思える。いや、もっとはっきり言ってしまおう。もし私たち人類が「より速く、より大きく、より強く」のライフスタイル、大量生産・大量消費の経済、生命の尊さを忘れた科学技術至上主義の道を走り続けて、ナマケモノ的に生きる道を選ばないなら、私たちの未来はないんだ、と。 

1999年2月、エクアドルにて

そんな思いで、二年前、ぼくは仲間たちとナマケモノ倶楽部(通称ナマクラ)を始めた。ナマクラは動物愛護団体ではない。ぼくたちにとって「森の賢者」「森の守り神」「森の菩薩」などと呼ばれるナマケモノは、熱帯雨林をはじめとする世界の様々な森林の象徴なのだが、それだけではなく、ぼくたち人間の新しい生き方のシンボルでもある。


これまでにも「クジラを救え」とか「ゾウを守れ」とかという絶滅を危惧されるような動植物を保護する運動は数多くあった。でもわがナマクラは世界で初めて、ある動物を守るだけでなく、ついでにそれに「なってしまう」という運動を展開している。ナマケモノを守れ、森を守れ、そしてナマケモノになろう!というわけだ。


自分の暮らしぶりを変えることもできない人が、森を救うとか、海を守るとかということができるもんだろうか。思えば「地球を守れ」ってずいぶん尊大な言い方だ。地球規模の環境危機について考え、問題の解決のために努力しようとすることはもちろん大事なこと。でも「努力」というとまたすぐ「競争モード」になって、「より速く、より多く、より大きな」貢献、なんていうことになりかねない。しかし、日本人が世界の環境問題に貢献できるとしたら、そもそもそうした問題のおおもとである自分たちの生活をまずスロー・ダウンさせることではないだろうか。


「ナマケモノになる」、それはエコノミック・アニマルをやめて、人間にふさわしいペースで生きるスロー・アニマルに戻ること。今までの多忙で、過労で、寝不足で、どん欲であればあるほど余計欲求不満な、競争的で、神経質で、イライラ、ギスギスした生き方(身に覚えのない人はごめん、あなたはもう立派なナマケモノ)をやめにして、のんびりと楽しくエコロジカルに生きる新しいライフスタイルを見出すことだ。


スロー・イズ・ビューティフル!


 

辻 信一


文化人類学者、環境=文化運動家。「ゆっくり小学校」“校長“。南米で活動していた20年前、当時の学生や友人たちと環境=文化NGO「ナマケモノ倶楽部」を結成、以来、「スローライフ」、「キャンドルナイト」「ハチドリのひとしずく」「GNH」、「しあわせの経済」などのキャンペーンを展開してきた。


『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社ライブラリー)をはじめ著書多数。2020年3月、水俣の漁師・緒方正人の聞き書き『常世の舟を漕ぎて』(増補熟成版)を25年ぶりに復刊。


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