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執筆者の写真辻信一

アイヌとして胸を張って生きる (3) 貝澤耕一

ちょうど30年前に行われた貝澤耕一さんへのインタビュー、第3回は最終回だ。

後半に、二風谷ダム問題についてのコメントが出てくる。30年後の今、読み直してみると、感慨無量だ。耕一さんの闘いの原点をあらためて見る思いだ。ダムの問題は終わっていない。いや、まだまだ始まったばかりだと言ってもいい。耕一さんの闘いは100年、いや1000年先を見据えているのだから。

 

二風谷ダムの上に立つ耕一さん 2022年8月末

言語教育と日本


言葉は復活させんといけんと思うね。ただ、日本の見事な同化政策のせいで、言葉はもう消えかかったロウソクですよ。ほとんど話せる人がいない状態になっちゃってるから、今は。本当にもうすぐ消えるぞって、ロウソクの芯がフヨフヨっていう状態だけど、ただこれは復活させんといけん。


僕は中国とニュージーランドに行ったけど、中国の場合には、各民族にちゃんと民族学校っていうのがあるんですよ。その中でちゃんと言葉も教えられてて、文字のないところはそれに対して文字をつくるとか、きちっとやってる。そして北京には中央民族学院っていうのがあって、そこで学生を集めて、いろんなことをやってる。ニュージーランドの場合も、幼稚園の間は全部マオリ語だし、放送もマオリ語でやってるでしょ。それはすべて国が手を貸してるんだよね。


いま北海道ではウタリ協会が援助して、道が幾分か金だしてアイヌ語教室っていうのを開いてる。道内10カ所かな。アイヌ語講座っていうのが北海道の民間のラジオで何年かやって、今も続いてるのかな? 萱野茂さんと話して思ったんたけど、放送局をもつのって意外と簡単だな、と。今FMのミニ放送局が認可されるようになったでしょ。金かからないでやれる可能性もある。二風谷地区内の放送エリアでもいいから出来る可能性はある。これから考えることだけど、考える価値はあると思うな。


おもしろいんだよな、日本の国って。だって難民が来始めてようやく在日朝鮮人に健康保険の適用が認められたでしょ。外国から圧力かかればやるけど、自分からはやろうとはしない。お役人のおもしろいところは前例がないことをする訳にはいかないということ。杓子定規というか、頭が堅いというか、バカというか。前例がないなんて言ってたら、ずっと変わらない。じゃあ前例を作りなさいよって言いたくなる。だって正直な話、公務員ってのは住民の“小間使い”なんだから。彼らは住民のための職員なんだから、住民がいかに幸せに裕福に楽しく暮らせるか考えて、みんなに聞き歩いて、自分たちで手を打たなきゃならないのに、お前ら要求して来い、そしたらやってやるって。そういった社会形態がおかしいんだよ。地域の区役所や市役所だって同じこと。


うちの地域について言えば、「ウタリ対策資金」が開発局か厚生省から出てくるんだけど、日本国内で最大のウタリ対策資金をとってるのが僕たちの住んでる平取町。アイヌの割合が一番多いからもってきやすい。補助率90%近いもんな。普通の公共事業っていうのは補助率50%だから。ところがそれだけ有利な予算を持ってきていろいろ公共事業をやる。だけど、ウタリ対策資金でどれだけ平取町が潤ってるかっちゅうことはいっさい町民には知らせないのね。

はっきり公表せえって言うんだけど、「はい、わかりました」って言うけどなかなかしないのね。やりたくないだけさ。要するに知られちゃまずいわけ。もし知られたら、それだけの予算を町民のために使ってるのに、何で私たちアイヌの生活のためにもっと使わないんだって、アイヌ住民が突き上げてきたら困るからさ。


僕たちが抗議すると、行政の予算は、どういう形で入ってこようが、一度、一つの枠に入れば全部同じだと。何に使ってもいいんだという言い方するんだよね。そういう状態さ(笑)。意地悪な言い方すれば、平取町はアイヌを利用して潤ってるということだ。でも、アイヌの側からの抵抗はなかなかない。


“先進国”日本とアイヌ


外から足を突っ込んでくる人は、たいがい来ていろいろ調べて論文を書いて博士号を取るか、名を挙げてパッと去るか。要するにただの調査対象さ。本当にアイヌの権利のために働こうっていう人はなかなかいないね。もちろん、こういうことに手をつけるっていうのは、そんな急いでもできないでしょ。じっくりやらなきゃならない。


だから正直言って、日本は先進国だって日本人は言ってるけど、本当に日本は先進国なんだろうかって思うよ。技術的には先進国かもしれんけど、精神的には非常な劣等国ではないかと。どうしてそんな状態なのかというと、やっぱり教育が悪い。戦争中の天皇崇拝が、そのまま続いているような。選挙の度に思うのは、なんで日本人って変わることをこうも恐れるんだろうって。農耕民族の特徴なのか。でも、外国ならよく政権が変わるでしょ。でも日本では全然変わらない。自分たちが自分たちの社会になり社会組織なりをつくっていくって自覚がない。自分がよければ、それでいいっちゅう意識が強すぎる。


結婚に関していえば、例えば在日朝鮮人なんかは恋人とか、つき合うのはつき合うけど、結婚はやっぱり同胞とっていうのが多いみたいだけど、今のアイヌはそうは思ってないね。だから僕は在日の人たちをうらやましいなあと思うね。自分たちの民族や文化を守ろうとしてるでしょ。アイヌの場合は今そこまで意識は高まってない。むしろ、出来ればアイヌでありたくないっていう人の方が多いんじゃないか。

というのも、ここ百数十年の差別や苦しい生活があり、そしてそのあいだに植え付けられた劣等感があるから。人間、苦しい立場に置かれたら誰だってそこから逃げたいよね。アイヌである以上その苦しみから逃げられない、だったらアイヌを捨てたい。だけど捨てたとしても、その人の血の中にはアイヌの血があるんだよね。絶対捨てきれない。そんな簡単なもんじゃない。それでみんな悩んでいる。


そんな悩みを社会として解消していこう、そのために必要なことをやろうというのがこれからの人だと思うんだよ。どうやって解消するかって言ったら、教育できちっと教える。アイヌ民族という人々が、この日本に存在していて、他の人たちと同じ人間であること。同等の人権をもっているんだということ。その同等の人権が与えられてないから、社会は、人々は、こんな状態に陥っているだけなんだよ。


福祉と施し


居留地の中に住んでいるアメリカ・インディアンの中高生が二風谷に来たことがあるんだけど、その子たちを見て驚いたのは、目に光がなかったことなんだ。希望をもった目じゃなかった。なぜかっていえば、自分たちの将来は決まってる、と思っているから。居留地内にいるあいだは生きてはいられる。ただ一歩外へ出れば、いくらがんばったっていい職には就けないから生きていけない。まるで檻に入れられたようで、自分の未来に希望がないんだよね。


アメリカでは“できる”子に対して奨学金を出したり、学費を免除したりする政策があるみたいで、それはそれでいい。日本でも、アイヌに対してウタリ対策資金から奨学金は出ている。それも悪いことではない。でも問題は、アイヌに対する対策が“施し”になってしまうこと。それじゃいけん。施しはそれに依存する者をダメにするから。アイヌに必要なのは自立だ。それを可能にするための政策が必要だ。それは経済的な面なら、意外とやりやすいだろうし、やってやれんことはないはずだ。


いたわりの心


でも一番の問題は国民の考えを変えることだろうな。さっきも話したように、自然破壊の問題を見てもわかるとおり、日本人には、いたわりの心がなさ過ぎる。人間でもいい、動物でもいい、植物でもいいから、相手に対するいたわりの心をもう少し学んでほしい。学んだら自然に人権問題だって解消していくよ。アイヌ問題も民族問題も全部原点はそこだと思う。アイヌは自分たちの生活を守ってくれるのは自然だし、自然こそがすべてだと考えている。人間に対して害になるような動物、植物であっても、他の動植物を生かしてるんだ。人間にとって悪くてもそいつを責めてはいけない、なくしてはいけない。それは生態系のサイクルの中で絶対必要なものだ。不必要なものは自然界に存在しないんだよ。


人間に対してもそう。自分にとって無意味なものだからといって、差別したり、排除したりしちゃいけない。そういう精神っちゅうものをこそ、これから特に学んでいかなきゃならない。そうでないと、人間滅びちゃうんだよね。


人間滅びたら、困るでしょ。でも実は、人間が全部滅びるんだったらそれもしかたがないと僕は思うんだ。ただし、人間は人間として、人間らしく、みんな一緒に滅びるんなら、それでもいいんじゃないか、と。いつかは、地球そのものだってなくなるかもしれないんだから。


確かに、人間の意識なんてそう簡単に変えられない。親から受け継いだ意識っちゅうのはね。言葉で受け継がなくても、生活の中で感覚的に受け継いでるものは、なかなかぬぐい去れないから。でも、変えようって努力を続けていけば、徐々に変わっていく。そのうち、アイヌに対する差別もなくなっていくさ。


土砂が溜まって”砂防ダム”と化した二風谷ダム

建設完了間近い平取ダムの湛水予定地

平取ダム資料館で、ダム建設地がいかにアイヌにとって重要な場所だったかを知ることができる。

二風谷ダム


まだダムのことは話してなかったな。いま造られてる二風谷ダムに対して真っ向から反対してるのは、僕と萱野茂さんだけなんだ。これも同じなんだよね、今まで話してきたことと。そもそも、このダムは田中角栄の列島改造の時に持ち上がった話で、最初の計画では苫小牧の大規模工業基地のための工業用水のダムだったんだよね。ところが今その苫小牧の開発計画も崩壊寸前で、ダムから水をもってく計画もすべて消えちゃってる。そして国がどうしたかって言ったら、同じダムについて、洪水調整用だ、発電用だ、いや農業用水用だとかなんとか、後になっていろいろと新しい名目をつけ加えるんだ。

たとえば、その洪水調整だけど、洪水っちゅうのはいつあったんだって僕は言いたい。ダムを造るっていうこと自体が目的で、あとは名目をあれこれ変更してでも、この目的を実現するために無理矢理ことを進めている。


そしてその工事によってアイヌの文化遺跡をボンボン破壊してってるでしょ。出雲大社かどっかで遺跡が出たっていったら、そこの工事ストップするでしょ。そしてその事業を変更してでもその遺跡を残すために努力するでしょ。それなのに、アイヌの遺跡は、学者たちがこれは保存すべき重要なものだと言っても耳を貸さずに、ボンボン壊していく。なぜ同じ日本の国民でありながら、大和民族の遺跡は大事で、アイヌの遺跡は不要なのかと、そう言いたくなるような事態だよね。


そして、そもそも、なぜもう用事もなくなったダムを無理矢理つくるんだ、と。その中にある発電所は、たったの3000キロワットを発電する計画なんだ。3000キロワットなんて、この大学全部を1日養いきれないぐらいだよ。都市のビルにすると中ぐらいの1つ分くらい。そして誰でも行ってみたら分かると思うけど、何でこんなところにダムつくるのっていうような場所なの。なぜ平坦で人間の住むのに適した場所、現にこんなに民家の集まっている場所の真ん中に、ダムをもってきたかのかって、誰でも思うはず。


その理由の一つは、要するにアイヌの生活が貧しい、ということ。だから用地買収もしやすいし、反対運動も起こらないだろうっていう、そこに目をつけたわけだ。僕たちの土地はすでに強制収容されてるから、もう話は終わってるようにみえる。ただ、僕たちはあくまでもその土地を使い続けているけどね。売った覚えはない。売り渡し承諾の判も押してないからね。国が勝手に強制収用を決めて、勝手に奪おうとした土地だから。こちらはそれに対する補償金の受け取りも拒否している。


おそらく高速道路や新幹線でも、生活に余裕のない人、貧しい人のところを狙って通ってるんじゃないかな。だいたい、あんな公共事業って何のためにやるんだ。まあ、自分も車乗るから道路は良くなってほしいと思うけど(笑)。日本の公共設備のほとんどが産業構造を変えるためのものであって、市民生活を改善するための投資ってのはほとんどない。ここ4、5年で日本の公共事業は増えているでしょ。これまで海外で工事をやってきた日本の企業が日本に戻ってきて、国内で事業するようになった。それを支えるために無理矢理公共事業をあちこち増やしてやってる。その中身を見てみると、たいがい無意味なもので、自然破壊にしかつながらない。


だから、どうしても造るなら造りなさいって僕は言うんだ。反対ばかりしてるのもう面倒臭いから(笑)。そして、出来上がったら壊しなさいって。だって、あれはただ土建屋のために事業を起こしてあげるだけのダムでしょ。国民のためのダムじゃないんだから。土建屋のためのダムなんだから、造ったら壊せばいいんだよ。それで土建屋の仕事も倍になるんだもの。ただ、環境破壊はそこだけにとどめておいて、他にまで手伸ばさないようにねって。


アイヌとして生きるということ


僕は他の人よりは幸せだと思うよ。だって、自分のルーツが分かんない人がほとんどでしょ。自分が何者であるかっていうことがあるのとないのとでは大違いじゃないかな。だから、「俺はアイヌだ」と胸をはれるだけ幸せだなと。ただ、アイヌの人がみんなそうかっていうとそうじゃない。そうなりたくてもなれないでいる。僕や萱野さんみたいに出歩いてアイヌだ、アイヌだって騒いでるのが嫌だと思って見ているアイヌも多いんだろうね。そっとしておいてほしい、と。もう今まで受けたような差別や偏見はいらない。あいつらが騒げば、またそれを蒸し返してしまう、と思ってるんだな。

実は、そういうふうに思う人たちをなくしたいから僕たちは騒いでいる。ただ黙っていたんじゃ世の中進まないから。よい方に進まないから。どうしてもみんなに訴えて知ってもらわなきゃいけないから。だから僕たちは騒ぐ。


アイヌは、シャモ(和人)が入ってきて約500年間ずっとそういう立場に置かれてきてる。そして、アイヌには帰る場所がない。自分たちの国がないんだから。同じ日本にいる少数民族でも、韓国の人も中国の人も帰る国はある。自分たちの国はある。ところが、ウィルタやアイヌには国がない。東南アジアから来てる人たちだっていざとなれば帰る国がある。だから、出来るなら、少なくとも自治区がほしいなって思ってるよ。ただ、僕が言う自治区っちゅうのは、アイヌだけが住むっていうのではない。僕が考える自治区っていうのはアイヌだけが生活する場所じゃなくて、アイヌの文化を学ぶ場所としての自治区がほしいということ。そうすると誰でも利用できるのね。自然と共に生きたアイヌの生活を学ぶっちゅうことは日本人にとっても非常に重要なことだ。そういう場所がほしいね。


二風谷ダムという“無目的ダム”に一千億円も金かけるなら、最低その半分でも、アイヌ自治区をつくるためにくれって僕は言いたい。そして三井財閥と国がもってる二風谷の裏山をアイヌに返せと言いたい。そこでアイヌが自然を守るっていうことがどんなに重要かっちゅうことを証明してやると言いたいね。

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