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執筆者の写真信一 辻

9・11から20年(その2)

朝日新聞は8月下旬から「9・11から20年」という読み応えのある特集記事を連載してきた。そのうち、いくつかの記事から以下、抜粋させていただく。

デンマーク映画「ある戦争」のワンシーン

<戦闘で死んだ米兵7千人、自殺者3万人>

ブラウン大の研究チームが今年6月に出したリポートによると、9・11以降の戦闘行為で死亡した兵士は7057人。これに対し、自殺した兵士と退役軍人は3万人を超えると推計される。

 リポートをまとめたトーマス・スイト研究員によると、「9・11後の戦争では、過去の戦争と比べても自殺率が高く問題は深刻だ」という。理由として、米軍に対する武器として普及したIED(簡易爆発装置)の存在を挙げる。脳への衝撃で後遺症が残った人は、自殺率が高い傾向にある。(8月24日)


<20年間の戦争いよる死者90万人>

米ブラウン大の研究チームは1日、米国の「9・11」後の20年間で、一連の対テロ戦争の費用が8兆ドル(約880兆円)にのぼるとする報告をまとめた。戦争によって亡くなった人は90万人前後に達するという。戦争費用は、国防総省や国務省が国外での作戦にかけた費用のほか、2050年までにかかる退役軍人の療養費も積み上げた。

 内訳は、アフガニスタンやパキスタンの費用が2・3兆ドル(約250兆円)▽イラクやシリアでの費用が2・1兆ドル(約230兆円)▽退役軍人への療養費2・2兆ドル(約240兆円)などだった。死者は米兵が7052人▽敵対した兵士が30万人前後▽市民が36万~38万人▽ジャーナリストらは680人だったという。

 報告書は「米政府は9・11後の戦争コストの推計を出していない。この報告は部分的なコストに過ぎない」としている。(9月2日)


<社説:9・11と日本 「参戦」の検証が必要だ>

 米国と行動を共にする関係は強めた一方、主体的な外交理念は見えず、自衛隊派遣の検証もしない。それが9・11テロ後の20年間にたどった日本の外交・安全保障の軌跡である。

 アフガニスタンを混乱のなかに置き去りにして米軍は撤退した。イラクと併せ、二つの戦争は米国の歴史的な過ちと見るほかない事態になっている。

 この間、米国の求めに応じて自衛隊を派遣した日本政府は、その総括をすべきだ。対テロ戦争に日本はどんな判断で加担し、問題点と教訓は何だったか、検証結果を国民と国際社会に示す責務がある。(後略)(9月10日)


<9・11テロで息子を失った下関市のNさんの思い>

(事件の5日後に現地へ飛び、病院を探し回ったが)息子さんに関するものはなにも見つからなかった。米国から届いた死亡認定証の死因欄には「homicide(殺人)」とあった。直後は怒りに震えた。だが、次第にテロの背景を知りたくなり、イスラム教に関する本や新聞の国際面を読みあさった。「テロは絶対に許されないが、憎しみの連鎖に加わりたくはないと思った」

 事件1カ月後、米国がアフガニスタン空爆に踏み切った。Nさんは「無差別に命を奪うのはテロも空爆も同じ」と反対した。招かれた講演会で問いかけた。「米国もテロリストも正義を旗印にするが、本当の正義は人命や人権を尊ぶことではないか」

 20年を経て、タリバンの支配が復活した。「力で抑え込んでも、争いはなくならない」との思いを強くしている。(9月11日)


<父の死が戦争に利用されたと憤る娘>

「チルドレン・オブ・セプテンバーイレブン」(9・11のこどもたち)。同時多発テロ時に18歳未満で、親を失ったひとは3051人と推計されている。


テロで警察官だった父を失った、当時中学1年生の娘:

・・・32歳になった娘は憤っている。「父の死は、さらにたくさんの人の死をうむ戦争に利用された。この20年はなんだったんだ」

・・・テロから20年を前に大混乱のなか、米軍はアフガニスタンから完全撤退した。「米国史上最長の戦争」の始まりは、父が亡くなったテロがきっかけだった。

「9・11は、憎しみと死をもたらした。なぜ、20年間もそれらがくり返されてきたのか。そして結局、なにも達成されなかった」

・・・今年、追悼式には行かない。母とともにロサンゼルスに住む弟を訪ね、彼の30歳の誕生日を祝う。

父がどう死んだか、ではなく、父はどう生きたか。自分たちはどうやって生きていきたいか。3人でそれを話したい。その方が、ずっと大事だと思っている。(9月11日)




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