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永続文明のモデルとしての『伊勢神宮』 ナオキン

こんにちは!ナオキンです。

皆さんは初詣は行かれましたか?(年始め、日本人であることを実感、共有する聖なるひとときですね!)


小生は毎年、地元の神社とお寺への初詣の御挨拶が恒例ですが、いつしか御朱印集めが趣味になってしまい、普段でも時々方々へお参りさせて頂くようになりました。令和に入って「お伊勢参り」をした時(自身では5回目、ルーツが中京圏なので)、今回は参詣だけでなく伊勢神宮について知りたいと現地で本を何冊か(写真)買い求めたのですが、帰って開いてみて「これは!!」

まさに、日本人の暮らしと文化の遺伝子の永続的な継承モデル、自給自足の流域生態圏、長い歴史を有する国をあげた先住民的な文化と信仰のエコビレッジではありませんか!!

(ヘレナさんからのラダックの学びの影響を受けて、改めて「先住民文化」に関心を持ち始めていますが、日本においては、アイヌ文化とともにまさにそのものでは?!)


日本文化のど真ん中「伊勢神宮」、既にご存じの方も多いことと思いますが、神道学び始めの愚輩の視点から改めて記させて頂ければ幸いです!



●伊勢神宮について


日本の皇祖神、総氏神とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)の鎮座の地は、初めは都の皇居内であったのが、「神人分離」のため大和の国(奈良県飛鳥、元伊勢と呼ばれる)へ移り、さらに倭姫命(ヤマトヒメノミコト)による長い巡行の末、約二千年前、山の幸、海の幸の豊かさを決め手に、美しい、美味しい「美(うま)し国」伊勢の地に決められたと伝えられます(日本書紀による)。

「神宮」(伊勢神宮の正式名)は125の神社の総称であり、その中心はご承知の通り、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)、外宮は経済を司り、精神面と物質面の両方のバランスのとれた豊かさがあって社会が成立する、衣食足りて礼節を知る、の国の基本を表していると言われます。


●自給自足について


神宮の営みは自給自足が伝統であり、一年間の約1,500の行事の中でも大切な神様へ朝夕の食事(神饌)をお供えする行事(日別朝夕大御饌祭)では、お米をはじめ五穀、野菜、海藻、鯛、鰒(あわび)、酒(神酒)、塩(御塩)、供物を盛る土器(かわらけ)まで、それらは全て伊勢の森から五十鈴川等の三河川と豊かな海に至る伊勢志摩地域、及び周辺の縁の土地(神田、御園)で採れた、つくられた産物なのだそうです。調理をする火も古代さながらの火きり具を用いてきり出した清浄な火(忌火)を使います。御園では、藁(わら)や神馬の排泄物等の堆肥を用いた昔ながらの無農薬農法により野菜や果物が栽培されています。

衣類や織物も国内産の稀少な絹や麻を用いて、周辺の縁の地で生産、調製されています。


●式年遷宮について


天武天皇が発意、次の持統天皇4年(690年)、約1,300年前から始まり現代に受け継がれてきた「式年遷宮」、20年に一度、社殿や神宝の全てを新しくして神様に新殿へお遷りいただく神宮最大のお祭りです。その永遠性を、世界的な建築家 アントニオ・レイモンド(米)は、「伊勢の深い森のなかに、世界で一番古くて新しいものが存在する」と表現、絶賛しました。


必要となる檜(ひのき)の木材も、かつては伊勢の上流で大切に保護管理される宮域林から伐採されていましたが、大量の材木を必要とする為、現在は長野と岐阜にまたがる木曽国有林を御杣山(みそまやま)として供給されています。建築は当代の名だたる宮大工達により、当初と全く同じ寸法、材料、技術により新たに造営されます。遷宮による古材は全国の神社に引き続がれ建材等にリユースされ、萱葺屋根に使われた萱は堆肥の材料となります。

遷宮の儀に用いられる鏡、太刀、織物をはじめ神々の衣服、服飾、調度品等の品々である御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)、現代の人間国宝級の工芸家達により、当時と同じ材質・構造・技法により再現模造された品々が奉納されます。その数は実に、714種・1576点!!「神業の継承」「現代の正倉院」と言われています。

いつまでも、古くて新しい、「常若(とこわか)の思想」といわれる由縁、SDGsを遥かに凌駕するような、文化と精神性の継承の仕組み、驚くばかりです!



●お伊勢参りについて

「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」

江戸時代、「お伊勢参り」は日本人の憧れの的、一大ブームに!!参勤交代による街道インフラの整備、御師(おし)と呼ばれる神職の人々の宣伝活動により、全国で伊勢講が生まれ、人が押し寄せ、日本の観光旅行の元祖に、男女問わず大人から子どもまで(犬が代わりに詣でた有名な話も)庶民の熱狂的なエネルギー爆発の機会となりました。最盛期には年間486万人、約3000万人の全国民の実に6人に1人が訪れたそうです!幕末には伊勢のお札が天から降ってきたという噂に端を発した民衆による「ええじゃないか」踊りの騒動まで起きました。

旅の名物は伝統の伊勢うどんに赤福餅、美味しいですね~!!(あっと、てこね寿司も!伊勢海老、松阪牛は無理かな~およどが・・・!(中京圏の方言で”よだれ”のこと(笑)))


●神道について

神道は、教義教典も教祖もなく西洋的な宗教ではない、日本人に伝えられてきた生き方の信仰と言われます。国学や古神道の研究を基にした書籍等によれば、その大きな特徴は以下のように言われているようです。

・すべての存在には神(霊魂)が宿っている(八百万の神)

・人間もまた「自然の一部」であり、神の現れである

・祖先神(祖霊)を大事にする

・言葉、言霊(ことだま)を大事にする(現代世界でも世界の一部のリーダーの言葉が世界の動向を左右していますね)

・禊(みそぎ)、祓(はら)いによる感性・直感・潜在意識の重視

・常に今を生きる「中今(なかいま)の思想」

・働くこと(仕事)は神聖なこと

・神話のストーリーに込められた意味、子孫へのメッセージ(例えば、天岩戸神話において神々が各々の力の発揮と協力、和と笑いのチームワークで岩戸開きを実現!!)

・伊勢神宮は全国日本の神社の中心であるが、本宗と称されるように、全国の神社は摂社、末社に至るまで全て対等の関係であること(ネットワーク?地方分権?)

日本の神仏習合におけるアニミズム的な人と自然との関わりである八百万の神、「山川草木みなほとけ」の世界観に触れるときには、日本に生まれて良かったとしみじみ思います!


そして、「しあわせの経済世界フォーラム」で広井良典先生が提唱された「鎮守の森プロジェクト」の通り、私達の身近に必ずある神社やお寺の森は、守るべき自然との大事な接点、交流の空間と感じます。



●まとめに


日本列島に生きてきた先人、御先祖様達が長い歴史と苦難を乗り越えながら連綿と繋いできた「伊勢神宮」のかたちは、多くの人々にとって、心のふるさと、日本人の理想郷、祈りの場として憧れをもって受けとめられ、江戸時代には庶民の物見遊山の旅の新たな体験の魅力として熱狂の対象となりながら、各地の共同体の暮らしに「本当に大事なものはなにか」の先人からのメッセージとともに、ひな型として受け入れられてきたのでは、と想像します。


「自給自足」(地産地消、国産国消)の伝統や自然とのつながりの知恵、人の手による文化や技術の継承、永続する循環共生社会の価値観と世界観、今の私達が見直すべき教えに満ちているように感じます。新海誠監督の「すずめの戸締まり」他の神道的な世界観の映画が人気になっているのも、その気づきの兆しなのかもしれません。(ただし、それは決して日本ファーストではなく、平和な相互の民族・先住民文化の理解と交流、敬意と尊重の中から花開くものであって欲しいものです。


明治維新後の国の富国強兵、帝国主義の体制の下、神道が「国家神道」となり、その結果としての世界大戦と敗戦、多くの尊い犠牲と原爆、焼け野原の廃墟から平和国家への再生という日本人の「歴史の教訓」は決して忘れない、と皆さんと同じく私も改めて胸に刻みたいと思います。)

神社司庁、伊勢神宮の河合真如氏、吉川竜実氏の書籍(各写真)を参考にさせて頂きました。

最後に、吉川氏の著書から印象に残った箇所をご紹介します。


「日本人は古来より「自給自足の営み」を通して、里村(さとむら)という一つのミクロコスモスの中で自然も神も人も循環するという「共生共存社会(=コミュニティー社会)」を実現させ、なおかつ、働く喜びをそこに見出してきました。しかしながら、戦後の産業化や都市化の進展、テクノロジーなどの急速な進化に伴う核家族化や個人主義化の増加などにより、共生共存社会には多くあったとされる人と人のコミュニケーションや助け合い、互助活動などは激減し、誰かのために働くという喜びまでもが失われつつあるのではないでしょうか?」

「今一度、われわれは何を目的として昔から自給自足を営んできたかを私なりに再考してみますと、物質的な豊かさや利便性を求めるためというよりはむしろ、自然・神・人が大いなる循環を果たして豊かに暮らすためであったということではないかと考えています。」(「神道ことはじめ」より)



ご覧いただきありがとうございました!

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