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不死鳥の物語(『Be−pal』2009年3月号掲載) |
昨日、ぼくはパレスチナ自治区ガザでの即時停戦を求め、祈るピースパレードに参加した。デモやパレードも一種の旅。夕暮れの都心を歩きながら、去年の12月に会ったイラク人芸術家のことを思い出していた。 遠い国からの客を迎えるのも、広い意味での旅のひとつだ。それが、行ったことのない、そして、行くこともないと思っていた国であればなおさら。それにしてもぼくにとって、イラクはなぜ、かくも遠い存在になり果てていたのか。マスコミが報じる状況の「泥沼化」の中で、ぼくの想像力はいつの間にか、停止してしまっていたらしいのだ。カーシムのおかげで、そのぼくの心の中の地図に、イラクが蘇った。 カーシム・サバティ。彼は、2003年春の米軍イラク侵攻後、多くの芸術家が去ったバグダードに留まり、創作活動を続けながら、ギャラリーを営み、文化復興のために奔走してきた。東京と京都で開かれた彼の個展は、「不死鳥の物語」と題されるコラージュの連作だ。それが産声をあげたのは、米軍による爆撃が始まった直後のこと。 芸術院の内部は無残に破壊されていた。煙と悪臭の漂う図書館では、書物が床にたたき落とされ、焼かれ、さらに消火のための放水を浴びた後だった。 「私はまるで必死に生存者を探す消防士のようだった。残骸の山を書き分けて進んでいくうちに、煤をかぶりながらも、なんとか生き延びたらしい本がわずかながらあることに気がついた」 カーシムは淡い黄色の表紙の本を、震える指でとり上げた。それは美しいロシア風景画集だった。しかし、ページをめくり始めると突然、背表紙が外れて本はバラバラと彼の手からこぼれ落ちた。しかし、次の瞬間、彼の目は、手に残った表紙の内側に残されたわずかな生の痕跡に釘付けになる。コットンの切れ端、アラビア文字の落書き、司書による記録・・・。 「私の想像力は甦った。この本が辿った旅路を示すこれらの記号に、いのちの本質が刻み込まれている。私の中に生きるエネルギーと希望が溢れた」 カーシムは中身を失った本の表紙をかき集めてアトリエに運びこみ、早速、作業を開始した。絵の具を一切使わず、カッターと糊だけで、表紙を切り貼りしてゆく。本の中に生きていたいのちが、一度死に、アートとなって甦る。不死鳥のように。 銀座の小さなギャラリーで、カーシムは少年のように目を輝かせながら、終始雄弁に語った。歌手でもあるという彼は1200年前のものだという歌を披露し、さらに、書家でもあるという彼は、パンフレットにみごとなアラビア文字の署名をくれた。 「たった200歳そこそこのアメリカにとって、これは石油のためだけの戦争じゃない、世界最古の文化を根絶するための戦争だったのだ」と言うときにさえ、彼は微笑んでいた。「でもね、」と彼はイタズラっぽく、目を細めてみせる。「もうすぐきっとわかるさ、それが失敗だったということが」。 別れの抱擁をしながら、いつの日か、バグダッドにある彼のヘワール・アートギャラリーを訪ねたい、とぼくは思った。「ヘワール」は「対話」を意味する言葉だそうだ。そこに身を置いて、平和をもたらしたのが、武力ではなく対話であり、文化だった、ということを実感できたらうれしい。 |
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