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巻頭コラム38 | |
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2008年4月5日夜、母、大岩臣華(みか)は安らかに永眠した。 母は最期まで絵を描き続けた。入院して間もない2月のある日、ぼくは音楽療法士の女性が母の病室でエレクトーンを演奏するのに居合わせた。入院前の数か月、絵を描けなかった母が、再び、音楽を得て絵筆をとるようになっていた。寝間着の上に毛糸のチョッキをつけてベッドに腰かけ、小さい食膳台に向かう。演奏とともに、痩せて血管だらけの手が躍動し始める。これが習慣となって、旅立ちを間近に控えた4月3日にも、いつものように絵を描いた。その時の力強い2作が遺作となった。 手術後18か月の間に母が描いた小品の中から50点を選んで、遺作展を開くことになった。これは母と一緒に計画したことだ。その時、病床の母は、手帳に、2か月先の母の日に家族一同が会すること、そして6月後半に個展を開くことを、書き入れ、同時に心にもしっかりと刻み込んだのだ。母の病床を取り囲んだきょうだいのひとりが、「オフクロが生きていても死んでいてもやるんだからね」と、からかうと、母は、「まったく、もう、あんたたちは私が死んでもいいと思っているんだから!」と、ほがらかに返したものだ。 母は軽々と飛びたった。生きる歓びが彼女を去ることは、とうとうなかった。これらの絵がそのことを物語っている。 辻 信一 |
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臣華(みか)プロフィール 1921年東京生まれ。東京女子師範学校(現御茶ノ水女子大学)卒。水墨画の山田玉雲氏や抽象画の大成瓢吉氏に師事、さまざまな伝統や手法を自由奔放に組み合わせた独自の画風を確立。晩年は音楽からインスピレーションを得て、多数の即興的な小品を描いた。2008年4月5日永眠。 |
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