皆さん、大事なことをお知らせするのをナマケていました!
でも、皆さんはちゃんとスローな週末を過ごしましたよね。というのは、今日から一週間、「スローダウンウィーク」なのです。
アドバスターズのカレ・ラースンに会った時、このスローダウン・ウィークというのが、わがナマクラには最も適している。ぜひ、一緒にやっていきたい、とぼくは熱っぽく語ったものでしたが・・・
http://www.adbusters.org/home/
正面の漫画をクリックするとアニメになります。英語があまりよくわからない人も楽しめます。英語がわかる人は右にあるピンクのブタもクリックしてみてくださいね。
美しい過労死の国、日本では、今、経団連=政府が「ホワイトカラーエグゼンプション」(労働時間規制を撤廃して残業代ゼロ化)なるものを法制化しようとしている。事態はますます、悲喜劇的になろうとしています。
以下、スローダウンウィークを祝して、ぼくの『スローライフ100のキーワード』よりの一節をご紹介します。
「多田道太郎は、今から三十年前の日本でこう嘆いていた。世の中には勤勉の思想ばかりがはびこって、なぜ怠惰のイデオロギーがないのか。経済学ばかりが流行って、なぜ怠惰学がないのか。ぼくは思う、21世紀に入った日本でも、いまだにぼくたちは勤勉思想にの呪縛から抜け出られずにいるのではないか。
日本の自殺者の数は、わかっているだけでも一日平均100人近い。専門家によれば、その10倍の自殺未遂者がいるらしい。そしてその大半が仕事に行き詰まったり仕事を失ったりした男たちだ。ぼくはここにも、勤勉思想の弊害を見る。
英語のインダストリーということばは同時に産業と勤勉を意味する。西洋ではいわば産業主義と勤勉思想の両者は切っても切れない縁だといえる。ちなみにキリスト教の伝統において、怠惰は死に値する七つの大罪のひとつだ。
イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの「怠惰への讃歌」(1932)によれば、世の中には、仕事や労働はそれ自体が立派なものだ、という信念のようなものがあって、これが社会に多くの害悪をもたらしている。そこでは仕事の中身はともかく、仕事をするということ自体が重要なのだ。現代社会でも人々は雇用率の上り下がりに一喜一憂するが、その雇用の中身については無関心だ。子どもたちは親が毎日仕事に行っていることは知っているが、実際に働いているところを目撃したこともなければ、仕事の内容を知りたいという好奇心もない。
歴史的にみれば、それはかつて生産物を力づくで奪い取った支配者たちが、生産者たちに労働の尊厳という道徳をもたせることによって、搾取の構造を覆い隠したことに由来する、とラッセルは言う。つまり、一生懸命に働くことが道徳的であると生産者たちに感じさせることで、彼らの「勤労の一部が何もしないでいる他の人々の生活を支える」ことが見えにくくなる。「この方法で、必要とする強制の量は減り、統制に要する費用も少くなった」
ラッセルは彼の時代についてこんなふうに言っている。科学技術が進歩し、今では機械が人間の労働を大幅に省いてくれる能力をもっているのだから、やり方によっては誰もがより少なく働いてしかも安楽に生きていける可能性は増大している。しかし、資本主義は必要のないものをたくさん生産し、一部の労働者を過度に働かせることで、失業者を生み出す。機械が導入しても労働時間を減らすかわりに人員を削減し、残った労働者をさらに駆り立てて生産をあげる。それでも、労働の尊厳という神話が維持しにくくなると、どうするか。「戦争する。・・・一部の人々に高性能の爆薬を造らせ、他の人々にそれを爆発させる。その時の私たちのありさまは、花火を知ったばかりの子どもそっくりである」
「戦争の世紀」としての二十世紀。数々の戦争を貫くものとして「生産主義」と「競争主義」があって、それを「労働の尊厳」神話が支えていたことを、ぼくたちはラッセルのことばとともに確認する。
さらにラッセルが「現代人は、何事も何か他の目的のためになすべきで、それ自体のためになすべきでないと考えている」と批判する時、彼は今も世紀を越えてますます栄えている功利主義と効率主義の文明の本質を言い当てている。それが何かのためになるのでなければ、それは意味がないとする社会。そこでは、「今」はそれ自体のためではなく将来のために投資されねばならないだろう。またそこでは、余暇は明日からの労働力を準備する「再生産」であり、消費は景気を上向かせ、GDPを伸ばす再投資だ。「自然」はそれが人間のためになる限りにおいて「資源」と見なされるだろう。
こうした「目的と手段」の関係から外れるものは「無駄」で「非効率的」と見なされるだろう。休むことや遊ぶことは、それ自体では時間の無駄だ。労働力の再生産や娯楽産業の繁栄のためになって初めて価値がある。怠けることはけしからん。ただ歩くために歩くとか、ただゴロリとなりたいからなるとか、ただぼんやりと景色をながめるとか、はナマケモノものの所業。ただ生きる、生きているから生きている、ではすまされない世の中なのだ。」 |