ヘシェルは言う。「技術文明とは人類による空間の征服である。その勝利はしばしば存在のもうひとつの本質的な構成要素である時間を犠牲にすることによって達成されてきた」。彼によれば「空間」の世界が所有、支配、征服などによって特徴づけられるのに対して、「時間」の世界は贈与、分かち合い、合意などを特徴とする。空間では“もつ”ことが目標となるが、時間では“ある”こと自体が大切だ。「安息日」という伝統をもたないぼくたちにも、しかしかつては、人生のあちこちにモノに支配されない「時間の聖域」があって、そこには安息が、静けさが、遊びが、楽しい語らいが満ちていたはすなのだが・・・。 「100万人のキャンドルナイト」は、そんな懐かしい時間を呼び寄せる試みだといえる。プラグを抜く。それは単なる省エネやCO2削減ではない。闇の中で沈思するのもよい。あるいはローソクを灯す。ローソクの炎は闇を際立たせる。闇は炎を輝かせる。その光の中で、語らい、食事をし、愛し合う。それは、経済成長ばかりを追い求めるモノの世界をぬけ出して、ふと「時間のくに」へ浮遊すること。現代世界の時間はますます加速していくようだ。みんな忙しそうだ。待つこと、待ってもらうことが不得意になってゆく。「時間がない」と誰もが不平を言っている。なぜだろう。それは多分、「時は金なり」というルールが支配するこの世界で、人々が時間を金やモノに変えてしまうからだ。この時間をめぐる競争は必然的に、生態系や伝統文化や人間関係を犠牲にせざるをえない。
金やモノの量だけで社会の豊かさや人間の幸せが測れるなどという、バカげた思い込みからそろそろ抜け出そうではないか。そして、ぼくたちが忙しさの中で切り捨ててきた安らかで愉しい時間を少しづつとり戻していこう。キャンドルナイトの灯りが、ぼくたちの故郷でもある「時間のくに」への道筋を照らし出してくれるかもしれない。