新しいウィンドウが開きます 新しいウィンドウが開きます

巻頭コラム02

ノ−テレ週間 4月19日〜25日
「テレビをナマケて、スローでクールな一週間を」  
祝アースデー・ウィーク アースデー・ウィークにテレビは似合わない
Hey, kids, you deserve more than just sitting there!

ノーテレ週間に向けて、皆さんに老子の言葉を贈ります。その一行目にある「無用な情報や無駄な欲」を垂れ流しつづけているものこそ、テレビです。今回の人質事件をめぐって権力者がマスコミを使ってみごとに人々の心をもてあそんだ数日を経て、2400年前の老子の言葉の意味深さを改めて感じます。

・・・あれこれ欲しがる心を抑えて
飯だけはたっぷり喰う。
野心のほうは止めにして
骨をしっかりこしらえるんだ。
みんなが
無用な情報や無駄な欲を持たなければ
ずるい政治家や実業家だって
つけいる隙がないのさ。
そうなんだ、
無用な心配と余計な欲をふりすてりゃあ
けっこう道はつくもんだ、
行き詰っても――。
(加島祥造『タオ』より)

「 テレビ・コマーシャル 」

 現代日本人の生活に与えるテレビの影響力には膨大なものがある。ぼくたちの暮らしぶりは、テレビによって左右されていると言っても過言ではない。スローライフを志す人は、もう一度、自分とテレビとの関係を見直して、必要ならアンプラグする(プラグを抜く)勇気をもった方がいい。
 ある調査によると、日本の小学6年生の半数が、自分の部屋をもち、自分のテレビをもっているという。ぼく自身の調べでは、ほとんどの人が家で食事をするときにテレビをつけている。
 視聴時間を見てみよう。ある世論調査によると、それは80年代末から漸増し続けている。全体としては、1日の視聴時間は3時間45分(民放2時間41分、NHK1時間04分)にのぼる。これは、男女のあらゆる年代層を平均したものだ。ちょっと計算してみよう。一生が80年だとして、このペースでテレビを見続けると、人生の12年半を、テレビを見て過ごすことになる。そのうち、民放でコマーシャルだけを見て過ごすのは、1年と9か月だ。
 企業は多額の広告費を払って、自社のサービスやモノを声高に売ろうとしている。なぜ声高になるかと言えば、それは、さもなければ売れないものだからだ。逆に言えば、テレビで宣伝されているものは、我々が生きて行くのに不必要なものだと考えて大きな間違いはない。不必要なものを必要だと思わせるのがコマーシャルなのだ。ぼくたちは、かけがえのない人生のうちの1年と9か月をかけて、それを拝んでいるわけだ。
 しかし、我々がテレビに左右されているのは、それを見ている時間だけではない。ぼくたちが12年半かけて見るテレビ番組は、手に入れるべき外見、ライフスタイル、そしてそれを可能にするはずのさまざまなモノたちを情報としてぼくたちにインプットし続ける。そして、ぼくたちの内に、常に新しいニーズをつくり、欲望を刺激し拡大し続けるしかけなのだ。そのニーズや欲望を満たすために、我々はますます忙しく働かなければならない。これが加速し成長することを義務づけられた経済を支えるというわけだ。どうやら、テレビと我々のつき合いは、単に12年半に留まらないようだ。むしろ一生の大半を我々はテレビの呪縛のもとで過ごすのである。
 ひとつ、注目すべきことがある。60歳以上のテレビ視聴時間は、一日5時間を越えている。今、高齢化社会の到来を憂う声が多いが、問題なのは高齢化そのものではない。むしろ、老人がテレビの前に座ったまま長時間を過ごすことに象徴される、社会の仕組みや文化のあり方こそが問題なのだ。かつて、社会的な知恵の宝庫として、文化伝承の担い手として、重要な役割を果たしていた老人が、テレビの提供する娯楽の一方的な受容者に成り下がっている。ここに、現代日本の文化の衰弱ぶりが端的に表れている。
 最近よくスローライフという言葉を使って、「のんびりとしたゆとりのある老後」を売り込もうとする企業やメディアが多い。しかし、大型モニターの前で長時間テレビを見るのがスローライフだなんて思わないようにしよう。むしろそれは、自分の可能性を探究し実現するような、生き生きとしてダイナミックな生き方なのだから。

『スローライフ100のキーワード』(弘文堂)よりゆっくり堂で好評発売中!

前のページへ戻る
文集の目次へ