ホワイトバンドの「ほっとけない、世界のまずしさ」からの依頼で、書いた文章です。いろいろバッシング受けたりしてせっかくの盛り上がりに水をかけられた格好だったようで、応援のつもりで書きました。
辻信一
http://hottokenai.jp/index.html
I Care(ほっとけない)ということ
ぼくにとってWB(ホワイトバンド)は“I care” のサインです。そう、「ほっとけない」のです。多分、貧しさという問題はあまりにも巨大で、ちっぽけなひとりの市民であるぼくに何ができるのか、はっきりとはわからない。しかし、care、つまり気にかけたり、思いやったりすることを、ぼくはまだあきらめてはいないよ、というしるし。そして、こんな自分勝手でいい加減で意気地なしのぼくにも、何かできることがあれば・・・、という意思表示。
ぼくがWBをつけるのは、まあ言ってみれば自己満足のためです。WBをつけて歩く。それが人々の目に入る。ささやかなメッセージがぼくの腕から発せられて、小さな波を起こす。電車の中でWBをつけている人を見かける。向こうもぼくの腕を見て、ふと目が合ったりする。ちょっと会釈したり、口元にかすかな微笑を浮かべたり。「・・・だよね!」というふうに。昔はもっとこんな何気ない挨拶やしぐさを通じた心の交わりがあったと思うんですが・・・。いまや公共の場では心を閉ざすことにすっかり慣れてしまったぼくたちにとって、それは得がたい喜びの瞬間です。
そんなのただの自己満足じゃないか、と言われるかもしれませんね。その通りなのです。それにしてもこの「自己満足」という言葉、いつも「ただの自己満足にすぎない」という風に否定的な意味で使われます。「他者の満足につながらないものは意味がない」というわけでしょう。利他主義の精神も結構ですが、それにしても少し、自分自身の満足ということをおろそかにし過ぎてはいないでしょうか。自己犠牲の上に成り立つ人助けは長続きしないものですし、自己否定の苦さはしばしば周囲に伝播して、目指しているはずの夢をさえ損ないかねません。
「自己満足」は、現代の若者風に言えば、「いいじゃん、楽しければ」でしょうか。
こういう若者の態度は「ジコチュー」、つまり自己中心的だとして非難されることが多い。でも、そもそも人間は自己中心的なもので、そうでない人間を考えることの方がむずかしいでしょう。とすれば「ジコチュー」といわれる若者たちは、「自己中心性」という人間らしさに対して、大人たちよりもっと率直で敏感なだけかもしれない。そして自分の自己中心性と向き合える分だけ、彼らは他人の自己中心性とも向き合いやすいのではないか。むしろそこには、閉鎖的で排他的な利己主義からの抜け道が開けているようにぼくには思えるんです。
そんなわけで、もうひとつ、ぼくにとってWBは祈りです。信仰といってもいい。ひとりひとりの思いは、何と言うのかな、一種の波動となって世界の裏側まで届くかもしれない。いや、きっと届くんだ、という願い。300円で買ったWBを腕にする。合理的に考えれば、そんなちっぽけな行為がこの世界の大問題の解決に寄与するとはなかなか思えない。しかし、そのバンドに表現された“I still care”という思いが、深刻な淵にある世界を辛くも支えていくんだ、とぼくには思えるんです。
ぼくはミャンマーの沿岸部にある僻地の村々で、環境活動のお手伝いをしています。
それはアジアでも最も貧しいといわれる国の中でも、特に貧しいとされる地域です。人々は確かに貧しい。一日に100円も稼げない人ばかり。でもぼくにはこの人々の心が優しく、清らかだと思え、その暮らしぶりには不思議な安らぎが満ちているように見えます。村という村には立派なお寺があってお坊さんたちが読経と瞑想に明け暮れている。村人たちが寺を建て、多くの僧侶を養い、宗教活動に専念できるようにしているわけですから、ある意味ではとても贅沢なんです。僧侶たちと話してみてぼくがびっくりしたのは、彼らが電気も何もないこんな辺境にあってなお、イラク戦争とか、地球温暖化とか、鳥インフルエンザとかの問題を知って深く憂えていることでした。そして彼らは、「自分にできることは愛を送り続けること」だと考え、毎日繰り返し、この世界中の生きとし生けるもののために祈るんです。
ぼくはこの村々が貧しいということや、それが大きな問題であることを否定しようというのではありません。ただ、村人たちがその貧しさにも関わらず、CARE、つまり互いを思いやるということをあきらめないばかりか、お寺という大がかりな「装置」を維持して祈りを発信し続けていることを、ぼくは忘れたくない。そしてもしかしたら、世界の隅々で人知れず発せられているそうした無数の祈りが、この世界を今のところはなんとか支えている。そう思えてしかたがないんです。
さて最後に、やはり環境保全活動でよく行くエクアドルで、先住民の友人たちに教えてもらったクリキンディという名のハチドリについての民話を紹介しますね。ぼくがWBに連なりたいと思う理由がそこにみごとに表現されているからです。
森が燃えていました。 森の生きものたちは われ先にと逃げていきました。 でもクリキンディという名のハチドリだけは いったりきたり 口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。 動物たちがそれを見て 「そんなことをしていったい何になるんだ」といって笑います。 クリキンディはこう答えました。
「私は私にできることをしているだけ」
12歳の時にリオの地球サミットで世界中を感動させるスピーチをしたカナダの環境活動家のセヴァン・スズキは、このハチドリの話についてこう言っています。
「世界は、私たちひとりひとりからできている。だから、あなたや私がちょっと変われば、世界はやっぱり、ほんのちょっぴり変わっていくの」(辻信一監修、光文社刊『ハチドリのひとしずく』より)
というわけで皆さん、今日もWBをつけて、世界をほんのちょっぴり変えましょうよ。
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