青森・六ヶ所へのポトリ

- 大人たちが未来世代を殺している  中村隆市((株)ウインドファーム代表)

- ぼくらの前の分かれ道   辻信一(文化人類学者)

- 知ることは生きること     坂本龍一(音楽家)

- 子どもたちに継ぐべきもの  小野寺雅之(漁師)

-  山と海が結ばれて      見上進&喜美江(きとす縄文生活研究所)

- 「もう一人」の私たちへ   高木みのり(自家製玄米酵母パン「リトル・トリー」)

- はがゆい思い       野月季子(フェアトレードショップ「風のひろば」)

- 「火と文明にまつわる詩」  藤井芳広(スローアーティスト)

大人たちが未来世代を殺している  中村隆市((株)ウインドファーム代表)

青森県六ケ所再処理工場に関する「説明会」が3月28日、「安全協定」が29日、「試運転」が31日、「大気中への放射能放出」が4月1日から始まり、「海中への放射能放出」も今月中に始まるようです。市民の不安や意見を無視して事態が進行しています。

これまでは、原発で事故があったときに「事故はあったが、放射能の漏れはありませんから安心して下さい」ということを言っていたのが、再処理工場では、放射能の放出が日常的に行われます。このことの意味をマスメディアは深く掘り下げて報道していません。
最も被害を受ける子どもたちや未来世代の立場に立って報道するメディアが今こそ、必要だと思います。

子どもたちが大人に殺されると、多くのメディアは「幼い子どもたちに何てむごいことをするのか!」と憤慨します。しかし、今、再処理工場で始まった放射能の放出は「大人たちが子どもや未来世代を殺している」のと同じ意味を持っているのに、そうしたことに言及するメディアがほとんどありません。

再処理工場を推進する人々は、放射能の放出は「ごくわずか」だと言います。「大気中には、地上150mから放出するし、海中には沖合3kmに勢いよく放出するため、十分に希釈・拡散されるから安全だ」と言います。しかし、海に放出される放射能の量は、18000テラBqもあり、1日あたり100万トンもの水で希釈しなければならないほどの量です。

何故、イギリスの再処理工場周辺では白血病になる子どもが10倍も多いのか。フランスの再処理工場周辺でも白血病が増えているのは、何故なのか。推進側はその原因を追求しようともせず、「再処理工場から放出された放射能と白血病との因果関係は証明されていない」と主張します。

こういう場合、2つの選択肢があるでしょう。一つは「危険性を指摘されても、因果関係が証明されるまでは操業をやめない」という選択。水俣病をはじめ日本の多くの公害病は、これを繰り返して、被害を拡大させました。

もう一つは「安全性が証明されるまでは、操業を停止する」という選択です。北欧やドイツなど環境先進国では、こうした考え方が広がっています。被害を受ける立場の人たち(特に子どもたちや未来世代)からすれば、あたりまえのことですが、しかし、今の日本では、このあたりまえのことが実行できません。子どもや未来世代のいのちよりもお金が優先されているからです。

再処理工場から放出された放射性物質は、時間が経つにつれて生物濃縮が進み、魚介類などに蓄積されていきます。イギリスやフランスの人々に比べて魚や海草を食べる量が多い日本人は、彼らより多くの放射能を体内に取り込むことでしょう。放射線の影響は、レントゲンなどの外部からの被曝でもガンになる可能性が高まりますが、食べものや飲み物から体内に入った放射能による内部被曝の影響は桁違いに大きくなります。放射能の影響は「距離の2乗に反比例」しますから、1mの距離(外部)からの影響を1とすると、体内に入って細胞表面から0.1mmにある放射性物質の影響は、1億倍になります。

4月26日で、チェルノブイリ原発事故から丸20年になります。そのことで先週、ベラルーシ共和国の大使がチェルノブイリ支援運動・九州を訪ねてきました。そのときに大使が強調していたのは「20年経ったが被害はまったく治まっていないことを多くの人に伝えたい」ということでした。ベラルーシの友人は、数年前に息子さんをガンで亡くし、昨年は娘さんもガンで亡くしました。20年経っても「子どもが親よりも先に死んでいく」ことが続いています。

放射能の恐ろしさは、その被害が桁外れに長期で続くことです。日本が米国の先制攻撃を支持したイラク戦争で、米軍は劣化ウラン弾を大量に使用しましたが(日本政府はそれを止めようともしなかった)今後イラクでは、半永久的に放射能による被害が出続けることでしょう。(細胞分裂が活発で、放射能の被害を受けやすい子どもたちを中心に)それと同じようなことが、今日本国内で始まっています。

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ぼくらの前の分かれ道  辻信一(文化人類学者)

「青森県知事 三村申吾様
建設中の六ケ所村再処理工場において、アクティブ試験が行われる予定とされていますが、これをお認めにならないようにお願いいたします。タヒチなど、南太平洋への旅から戻ったばかりの者です。フランスがムルロア環礁などで繰り返した核実験の被害の恐ろしさを、現地の先住民の方々から聞きました。帰ってみると、稼動したばかりの石川県の志賀原発2号機の差し止め判決が出たばかりでした。一方、国と産業界は玄海、伊方とプルサーマルへの道を突っ走っています。私たちは分れ道に立っています。今こそ、民衆の代表としての知事が、人類の歴史に輝くひとつの決断を下す時です。こころより英断を期待しています。」

ナマクラとして脱原発に力を注ぐ、大賛成です。再処理アクティブ試験を止めるために祈り、またできることをしましょう。

それにしても政府と産業界のアグレッシブでなりふり構わぬ原発推進の姿勢は一体何を意味しているのでしょう。ぼくはイラク侵略へと突き進んでいった米国のことを思い出さずにはいられません。ピークオイルが現実となった今、4月26日のチェルノブイリ20周年を前に、ぼくたちは本当に分れ道に立たたされているようです。

知ることは生きること  坂本龍一(音楽家)

つい黙っていられなくて発言します。六ヶ所村の再処理工場からは、なんと1日で通常の原発1年分の放射能が出ます。言い換えれば、六ヶ所村に原発が365基できたのと同じなんです!

これを誘致し、アクティブ試験を開始させた青森県の三村知事は「国が安全だと言っているから安全だ」と言っていますが、県民と産業を守るべき知事がこんなことでいいのでしょうか。
試験は始まってしまいましたが、1日で放射能が1年分ですから、1日でも早く中止させた方がよいですね。あきらめずに、中止させましょう。

何ができるか分かりませんが、ぼくたちartists' powerも考慮中です。「天下の悪法」PSE法を実質的に無化したように、やれば何かできると信じて…。

一番問題なのは、ほとんどの人がその危険性を知らないことです。ここでも「知ることは生きること。無知は死につながる」のですね(これは、2001年にぼくたちが『非戦』という本を共同編集した時のモットーです)。

子どもたちに継ぐべきもの  小野寺雅之(漁師)

ケセン(本吉町)の春。磯の恵み(フノリ)に子どもも大人も浜に集う。2006年2月。撮影:小野寺雅之

三陸の海を暮らしの場としていることから、「再処理」問題の当事者になってしまいましたが、これもまた、ナマクラの仲間たちの「もう一人の私」(高木みのりさんのコトバ)なのだと思っています。皆さんの代わりに「私」が動いているだけのことです。

エクアドルの森を守る、チェルノブイリの子供たちを支援する、GMイネの野外実験を阻止する、などなど、今しなければならないことはたくさんあります。これだけの問題を前にして、私に何ができるんだろう、何をすべきなんだろうと、戸惑うことばかりです。

でも嬉しいことに、どの問題にも、必ず「もう一人の私」が代わりに動いてくれている。私はそう考えています。一人ですべて関わることなんて到底できないことですからね。

その問題に直接関わることができなくても、小さな「ひとしずく」を送っていただくことで、とても力づけられます。みんながしっかり後押ししてくれていると感じます。

「再処理」にせよ、「原子力」にせよ、この問題に関わってきてわかったことは、エネルギーの問題ではないということです。つまるところは、道路やダム、港湾工事と同じ構造、公共事業にぶら下がり、交付金・交付税にたかる構造がそこにあるだけです。

20年も前ですが、敦賀市の高木孝一元市長が原発を誘致する理由をこう述べていました。

「(原子力発電所ができれば、国や電力会社から金がいくらでも入ってくる。)もうまったくタナボタ式の町づくりができるわけで、私は皆さんに原発をおすすめしたい。その代わりに五〇年、百年経って片輪が生まれてくるやらそれはわかりませんよ、けれども今の段階ではおやりになった方がよいのではなかろう。」(『現代農業』1986年9月増刊号)より)

自分たちの都合を優先し、未来の世代や子供たちにツケを回すことに何ら恥も痛みも感じないこの大人たち、そしてこの大人たちがつくったこの国のありよう。この姿は、子供たちの目にどのように映っているのでしょうか。

子供たちをめぐる痛ましい事件の報に接するたびに、子供たちが必死に「NO」と叫んでいる声が聞こえてくるようです。

再処理のアンケートに、青森に移住した方が回答を寄せられました。

「例え、収入が少なくても親や親戚、あるいは友達や家族に恵まれ心穏やかに健康に過ごすことができればそれこそが本当の幸せではないでしょうか。経済がおかしな方に向いている今の日本では(いや、世界中でも)こんなありきたりに思えるような幸せが私の知っている限りでは少なく思います。
私は今から少しづつ農業を始めたいと思っています。青森のきれいな水ときれいな空気が育ててくれるおいしい野菜を自分の手で収穫し、大切な人達と一緒にそれを食したいです。そして機会があれば自慢している青森の山菜や新鮮な魚介類を(あとりんごも!)これからも都会に住む友人、知人に自慢し続けたいです。」

子供たちに継ぐべきもの何か。そして、幸せとは何か。今こそ真剣に考えていただきたい。心からそう願っています。

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山と海が結ばれて  見上進&喜美江(きとす縄文生活研究所

一雨ごとに暖かくなってきました。マンサクの花が咲きましたが、梅や桜はまだ小さな蕾のままです。畑では小麦の青さが目立ちます。これからやっとジャガイモやエゴマのための準備が始まります。

きのう、エゴマ油を搾っていたら、外の梅の木にアカゲラがやってきました。見たのは初めてです。とても美しい鳥でした。ほんの一瞬でしたがわくわくしました。まだここの森にはいろいろな生き物がいるのです。

さて、今年も湯治の宿「大沢温泉自炊部」で過ごした後、ケセンの小野寺さんを訪ねました。海とともに生きる生活の一端に触れてきました。三陸の海辺は本当に豊かです。縄文時代から人々が暮らしつづけてきた理由もわかります。

この豊かな三陸の海が放射能で汚染されようとしています。世界四大漁場の一つであるという三陸海岸、この海を一握りの人々によって取り返しのつかないものにしてよいのでしょうか。怒りが込み上げてきます。

青森県には縄文時代の認識を変えた「三内丸山遺跡」あります。私たちはその影響で縄文に取り付かれました。だからこのたびの再処理工場の稼動は許せません。縄文の大地を汚染し、海を汚染するこの暴挙に対してこれを止めさせるためにこれからも声をあげていくつもりです。

朝一番、小野寺さんの案内で漁港へ行きました。ちょうどその朝取ってきたメカブやワカメを処理している最中、みなさん寒い中もくもくと作業、手の動きが機敏です。私たちはただ見ていただけなのにお土産にそれらをいっぱいもらってしまいました。小野寺さんの顔でしょうか。感謝です。

海と山の幸、この日本列島は本当に住みやすいところです。私たちはそんな大地で人と人とのつながりを大切にしたいと思っています。その昔、岩手県のある地方で山里に暮らす人と海浜に暮らす人との間に、互いの産物の過不足を補うかたちのつきあいが行われていました。そのような物々交換を行なう関係にある人は互いに「けやぐ」であると言っていました。ちなみに当山荘の地域通貨は「ケヤグ」です。

いま山荘には磯の香りが漂っています。ワカメの乾燥をしているからです。いい香りですよ。

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「もう一人」の私たちへ  高木みのり(国産小麦&自家製玄米酵母パン リトル・トリー

青森の食品に関するアンケート、リトル・トリーでやってみようと思いました。正直に今抱えている不安をお客さんたちに打ち明けて、お客さんたちがどう思うのかも聞いてみたいです。小麦もバターもジュースも、うちの店では北海道・東北地方から来ているものが大半を占めていることに改めて気付きました。こんなに材料に気をつけているのに、放射能汚染された素材が混じるなんて…。あり得ない…。

例えば取引を止める場合、代替品を探さないといけない。その代替品でこれまでの質を維持できるか、レシピや製造技術はどう変化させればいいのか、価格はどうなるのか、見当もつかないです。でも、検討せざるをえない素材の中にはとても良くしてくださっている粉屋さんも含まれるので、考えるだけで憂鬱です。

こういう問題について、うちのお客さんたちはどう受け止めて、どのように反応するんだろう。絶対東北地方のものは使わないでほしいと言うのか、関係ないと思うのか。製造業として、大人として、自分の責任で手渡すものを今後どのように作っていったらいいのか…。例えば生協とか、どう対処するんだろう。他の製造業の人たちとか、パン屋さんとか、どうするんだろう。そのうち、日本には安心して子どもたちに手渡すことのできる食べ物がなくなってしまうんじゃないかと思うと、情けなくて悲しくなってきます。

私にできないことを代わりにしてくれている「もう一人の私」たちに、心からの感謝を込めて…。私にできる小さなポトリ、ポトリ。
はがゆい思い  野月季子(フェアトレード&ナチュラル風のひろば)

青森県十和田市でフェアトレード&エコロジーの店(フェアトレード&ナチュラル風のひろば)を開いています。熊本の二見さんがナマケモノ倶楽部のメーリングリストに書いていたこと、


まじめにきちんと仕事をしている議員を私たち国民自身が落選させているのでは、国の政策が良くなるはずがありません。利権議員はお金も権力も強大ですが、それを許しているのは他ならぬ私たち国民自身だということを日々自戒しています。


ほんとにそうだと思います。六ヶ所の問題も、青森県議会の人たちや原燃の人たちに間違った行動を許してしまっているのは、私自身も含め、政治や公共のことについて政治家に自分たちの思いや考えを伝えられない、または伝える思いももっていない無関心な多くの市民の問題だと思います。

私の祖母は東北電力の株をもっています。それは電力が一番安定してるから、だそうです。いとこに六ヶ所反対の署名をお願いしたら、内心は原発反対だけど、(いとこが)経営しているお店に原発で働いている人が結構くるから署名はできないと言われました。

万が一再処理工場で大きな事故が起きたら青森県の住民はみんな死んじゃうかもしれないのに、そんなこと私がおばあちゃんやいとこに言っても考えが変わるわけでもないだろうなと思うと、とてもはがゆい思いをしています。

まさに今、青森は山火事がぼうぼうと燃えているのかもしれない。だからこそ、ここで私にできる小さなぽとりを落としていかなければと決意を新たにしたところです。

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「火と文明にまつわる詩」  藤井芳広(スローアーティスト)

自分にできることとして青森県知事に詩を贈りました。みなさんにも贈ります。
「火と文明にまつわる詩」

太古の昔、人は集団で生活していた
人は一人では生きていけなかった

太古の昔、人間は火を使った
そして道具を作り、環境を変え、生活を快適にしていった

やがて機械を発明した、コンピューターを発明した
どんどん便利になった、どんどん強くなった
今では自分たちの住む地球すら滅ぼすことができる

人間は一人でなんでもできるようになった
一人でも生きていけるようになった

でもそれは人間の本当の姿なのだろうか 本当の幸せなのだろうか
太古の人たちはこうなることを望んだのだろうか

大地とのつながりをなくし、自然とのつながりをなくし
果てには隣りに住む人とのつながりまでなくして一体何を得ようというのか

ここらで一度文明とのつながりを断ち、
太古の人たちのように暗闇の中で火を灯そう

そして一人では生きていけなかった頃のことを思い出そう
みんなで一緒に暮らしていた頃のことを
歌い踊りながら暮らしていた頃のことを

僕らは共に生きていく存在なのだということを思い出そう

太古の昔、人は集まり、共にご飯を食べ、
共に歌い、共に踊るために火を使った

僕らの心の中にもその火がある
僕らの心の中の火をもう一度共に生きていくために使おう

灯すため、あたためるため、共有するために使おう
そしてその火のまわりで共に笑い、共に歌い、共に踊ろう

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