チェルノブイリからのポトリ
ナターシャさんの祈り  矢野宏和(チェルノブイリ支援運動・九州代表)

ある日、いつものように私がウインドファーム社で有機コーヒーのフェアトレードの様子を伝えるニュースレターを作っていると、チェルノブイリ支援運動・九州の事務局長の吉本さんが話しかけてきた。(チェルノブイリ支援運動・九州の事務所は、ウインドファーム社のなかにある。)「今度、ベラルーシの駐日大使がこっちに来るそうです。これまでのチェルノブイリ支援への感謝の訪問、ということらしいですよ」

「ああ、そう。OK、OK」と言いつつ、有機コーヒーの産地エクアドル、インタグの森からベラルーシの広大な平原へと意識を飛ばす。しばらくして、「えっ、大使。大使がこっちに来る?こっちって、つまり、ここってこと?」と私は地面を指さすと、吉本さんが頷く。

「マジで?」
「マジで・・・みたいです」と吉本さん。
「倉庫を改造して使ってるチェルノブイリ支援運動・九州の事務所に来るの?」
「はい、それが一番の目的みたいですから」

かくして、チェルノブイリ原発事故から20年目を迎える2006年3月28日。ベラルーシ駐日大使のレオニド氏が、チェルノブイリ支援運動・九州の事務局を訪れた。

私は、ある質問を胸に秘めていた。プルサーマルのことだ。プルサーマルとは、核兵器の材料ともなるプルトニウムを使って発電するもので、その危険さ故に全国各地で建設が拒否され、凍結されてきている原子力発電だ。しかし、ベラルーシの大使が訪れる前日、佐賀県知事は、住民の反対を押し切ってプルサーマルの受入れを承諾していた。そのことについて、どう思うか?

「チェルノブイリ原発事故の被害を受けた国の代表として、大変、遺憾に思う」という発言が出て、然るべきだと思う。だが、長年、ベラルーシと関わり続け、それなりに現地の事情も分かるようになっていた私は、何の期待もしていなかった。独裁的な政治体制のもと、言論統制の厳しいベラルーシでは、近い将来、原発を作る計画もあるという。反体制的、反原発的な発言をすることなど、あり得なかった。

聞くだけ無駄かと思っていた私に代わって、同席していた新聞記者がプルサーマルの問題について質問をした。案の定、それに対する回答は、ベラルーシの体制に添った差し障りのないものだったが、しかし1つだけ、大使が言ったこんなコメントが私の心に残った。

「原発の建設に関しては、住民の声を大切にすべきだ」

きっとそのコメントは、体制というガチガチの鎧の針の穴ほどの狭間から、大使が何とか押し出すことができた、露ほどの本心ではなかったか。

「住民の声を大切に」、か。そう思ったとき、1年前に聞いたベラルーシに住む1人の女性の声が脳裏に響いた。実際に、私は声を直接耳にしたわけではない。それは、ファックスで送られ日本語に訳された後に、ようやく私のところに届いた「SOS」という文字。「助けてください」というメッセージは、悲鳴にも近い祈りの肉声に変容して私の全身を貫いていた。

「SOS」の発信元は、甲状腺ガンで最愛の息子を失っているナターシャさんからのもので、ファックスには彼女の娘のニーナが、末期ガンなのだということが書かれてあった。


母を失ったナターリヤ。これからは祖母ナターシャと生きていく。

その後、日本での治療の可能性を探ってみたが、「診断書を見る限り、ニーナさんは、日本の渡航に耐えられる状態ではない」という結果に終わる。その2ヶ月後、ニーナはナターシャさんの腕のなかで、眠るように息を引き取った。

ナターシャさんは、息子に続いて娘までも、つまり今生において二度までも、我が子の死を見送ったということになる。その後、ナターシャさんは、亡くなったニーナの4歳の娘ナターリヤを引き取って育てることにしたが、今、こんな不安を感じているという。「今度は、このナターリヤがチェルノブイリの病に冒されないか。汚染がひどいこの地に住んでいていいのだろうか」と。

こうしたナターシャさんの「声」、剥き出しの魂の叫びを、果たしてどれくらいの人々がきちんと受け止めることができるのだろうか。正直なところ、私にその自信はない。それはとても情けないことだが、でも「私にできること」を続けていくことで、いつの日がナターシャさんに正面を向いて笑顔で話せるようになりたいと思う。

チェルノブイリ支援運動・九州の事務所を訪れた大使は、「チェルノブイリの20周年を機に、今後さらにこの問題に取り組んでいきたい」と言った。チェルノブイリの支援運動・九州が歩む道も、また遙かに続く。


甲状腺ガン患者の事故当時の年齢
写真:チェルノブイリ支援運動・九州

2006年4月、チェルノブイリ支援運動九州の活動報告集が出版されました。1部300円でお分けしています。詳しくはこちら

ひとつ、私たちの手の中にある希望は、9年間を通して甲状腺ガンの検診プロジェクトを継続させ形にしたという事実である。それに対して、ベラルーシの大使がわざわざお礼を述べに来るほどに、検診プロジェクトはベラルーシ国内でも評価を得ている。が、何よりも大きな自信は、この8年間の取り組みを通して、人と人とが、分かり合え、つながりあっていけるものだということが実感できたこと。その自信がある限り、チェルノブイリ支援運動・九州の検診プロジェクトは、点から線へ、そして面へと広がっていけるはず。

「ワタシハ、ワタシニデキルコトヲスル」。チェルノブイリ原発が事故が起きた「4月26日」を迎えるに当たって今、私はその言葉を呪文のように繰り返している。



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