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世話人・辻信一のコラム


『いのちの中にある地球-最終講義:持続可能な未来のために』 訳者あとがき

 昨年の夏、本書の著者であるデヴィッド・スズキが久しぶりに来日した。製作中のドキュメンタリー映画の中の数シーンを撮影するための短い滞在だった。
 数多くの映像作品を手がけてきた彼だが、「レガシー」という仮題のついた今度の映画を最後にしたいと彼は言う。つまり、これは彼にとって、「遺言(レガシー)」とも言える映画なのだった。
  その思いの一端を彼はこんなふうに説明した。今、重大な危機に直面している我々人類に特徴的なのは、過去との断絶だ。どのような変化をたどって現在に至ったかさえ知らずに、危機を克服することなどできるわけがない。  親しくしてきたカナダ先住民の長老たちが150年前の白人たちの到来を、まるで昨日のことのように語るのに、デヴィッドは驚いたことがある。また日系三世である彼は、自分の祖父母が日本での子ども時代のことを、さらに彼らが親たちから聞いたはずの江戸時代末期のことを話していたのを覚えている。
  つまり、人間の一生とは単に生まれてから死ぬまでのことではなく、記憶の糸を通して祖父母から自分へと続くひと連なりの時間の全体なのだ。デヴィッドの場合、日本が開国し近代国家として歩み始めてから、そしてカナダという国家が生まれる頃からの150年ほどの時間が彼の中に流れている。
  「それは長い人類史の中では一瞬にすぎないが、その歴史を一変するような一連の出来事がすべてそこで起こったのだ」と、彼はぼくに言った。つまり、その150年の中に、現代世界が抱え込むことになった深刻な問題のすべての原因が入っている。だが、それは――と彼はつけ加えた――同時に、問題を解決するためのすべての答えもまたその中に見出せることを意味しているにちがいない、と。
  さて、あれから一年、デヴィッド・スズキにとっての最後のドキュメンタリーが、間もなく完成する。それに合わせて、映画にこめられたメッセージを一冊に凝縮した本が出版されることになった。それが本書だ。映画と同様、おそらくはこれが彼の最後の本となる、と言われている。そしてそこには、彼の150年にも及ぶ人生経験のエッセンスが詰め込まれている。

 デヴィッド・スズキがたどってきた道を振り返ってみたい。
 彼は一九三六年カナダ、バンクーバー生まれの日系三世だ。太平洋戦争が勃発すると、幼い彼と家族は他の二万人の日系人と共に「敵性外国人」として内陸の強制収容地に送られた。やはりカナダやアメリカと交戦中だったドイツやイタリアからの移民やその子孫とはちがって、日系人だけを根こそぎ移動・収容したことが、人種差別に基づく誤った政策であったことを、カナダ政府が公式に認め、謝罪したのは、四〇年以上を経た一九八八年のことだ。
  父カオルの影響で、子どもの頃から自然の中で遊ぶことが大好きだったデヴィッドは、米国アマースト大学で生物学を専攻した。その後、シカゴ大学で動物学の博士号を取得、三三歳でブリティッシュ・コロンビア大学の正教授となる。その間、将来のホープとして学界で注目を浴びる一方、北米を揺るがした人種差別撤廃運動やベトナム反戦運動にも奔走した。
  大学で教え始めたデヴィッドはやがて、「科学者として学生たちが抱いている倫理的な問題に対する疑問にしっかりと答えられない自分」を発見して衝撃を受ける。例えば、科学は繰り返し大量破壊兵器を発明したり、環境破壊を引き起したり、正当化したりする役割を担ってきた。自ら人種差別による迫害を受けた者として、科学的真理の名のもとになされる主張が、社会に多大な悪影響を及ぼしうるという事実を、デヴィッドはそれ以上棚上げにしておくわけにはいかなくなってしまったのだ。
  それは彼にとって長い旅の始まりとなった。
  科学は度々、戦争や環境破壊に加担し、悪用されてきた。その傾向はますます強まる一方だ。科学とは何かを一般庶民に理解してもらわなければいけない。それこそが自分の役割ではないのか・・・。
  そう考えるようになったデヴィッドは、まずCBS(カナダ公営放送)ラジオの科学番組に登場、間もなくCBSテレビの自然番組「ネイチャー・オブ・シングズ」のキャスターとなる。
  それは、カナダ人の多くが「デヴィッドを見ながら育った」と言うほど親しまれた人気長寿番組だ。単に自然の不思議さや美しさを描く番組ではない。その自然が今刻々と失われ、人類の生存の基盤であるはずの生態系が破壊されているという悲痛な現実をも伝えながら、デヴィッドは生命操作の危険性や環境保全の重要性を茶の間の視聴者に訴え続けた。たびたび政治家に睨まれたり、大企業からの圧力を受けながらも、世論の強い支持によって番組は生き延びてきた。
  彼の人生にとってのもうひとつの転機となったのは、カナダの先住民族である“インディアン”と、その世界観との出会いだった。本書にも、「自分という存在を森や川や海を切り離すことができない」というハイダ民族の思考が、デヴィッドの中にいまだ根を張っていた西洋近代の科学的合理主義に痛烈な一撃を与えた経緯が記されている。
  それまでの環境運動がもっていた科学主義的な限界を悟ったデヴィッドは、次第に先住民族の英知が、環境問題解決の鍵を握っていると考えるようになる。そして彼は妻であり同志でもあるタラ・カリスとともに、先住民族との絆を基軸とする新しい環境=文化運動の母体「デヴィッド・スズキ・ファンデーション」を立ち上げる。一九九一年のことだ。翌九二年に出版されたピーター・クヌッソンとの共著『長老たちの英知Wisdom of the Elders』(未邦訳)では、現代科学の最先端にある知が、文化の中で培われた伝統的な知恵と、いかに共鳴し始めているかを克明に描いた。
  その後、デヴィッド・スズキ・ファンデーションは大きな影響力をもつ環境団体へと急速に成長し、現在まで続々と刊行されてきたデヴィッドの著作もそのほとんどすべてがカナダやオーストラリアなどで愛読され、ベストセラーとなってきた。 テレビ番組も相変わらず好調で、特に主著である『生命の聖なるバランス』(日本教文社)を、4本のテレビシリーズとして映像化した『ザ・セイクリッド・バランス』や、娘のサリカ・カリス・スズキとともに親子でリポーターを務める『スズキ・ダイアリーズ』は人気を博した。英語圏の国々でデヴィッドはすでに長年、最も社会的影響力のある人物のひとりとして知られてきたが、特にカナダでは国民的英雄ともいえる存在だ。カナダで最高の栄誉とされるカナダ勲章を受章、「最も偉大なカナダ人」を選ぶ二〇〇四年の投票では、存命中の人物として第一位となった。最近は、レオナルド・ディカプリオがつくった環境危機についてのドキュメンタリー映画「The 11th Hour」にも、現代を代表する賢人のひとりとして登場している。 また、デヴィッドは、セヴァン・カリス・スズキの父親としても知られる。セヴァンは一九九二年、十二歳の時にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた「世界環境サミット」でのスピーチで、世界中に感動を与え、以来、環境運動の若きリーダーとして世界中で活躍してきた。

 最後に、著者デヴィッドと訳者であるぼくの縁について述べておきたい。一九八〇年代の大半を学生・研究者としてカナダで過ごしたぼくは、デヴィッドの活動や著作から多くの影響を受けていた。一九九二年、日本に帰国して間もないぼくは、「もうひとつのコロンブス五〇〇年――先住民族の英知に学ぶ」という会議を、勤め始めたばかりの明治学院大学で開催した。そこへ内外の先住民族の方々と共に、『長老たちの英知』を発表したばかりのデヴィッドを基調報告者として招いた。
  この催しとその直後の北海道への旅を通じて親交を深めた彼とぼくは、一緒に日本についての本を書くことになり、その後2年の間に日本のあちこちを取材して歩いた。その成果が一九九六年に出版された『ぼくたちの知らなかった日本The Japan We Never Knew』(未邦訳、その後アメリカで『もうひとつの日本The Other Japan』と改題して出版)である。
  以来、友であり、同時に師でもあるデヴィッドに導かれるようにして、ぼくは環境問題に取り組んだ。またぼくは彼の案内で、本書にも出てくるカナダ太平洋岸のハイダ・グワイ(クイーン・シャーロット諸島)を度々訪れるようになり、そこに住むハイダ民族の人々とも親交を結んだ。1999年にぼくが友人たちやゼミの学生たちと結成した環境=文化NGO「ナマケモノ倶楽部」もまた、デヴィッドの思想や行動に大きな影響を受けている。

 ここにこうして、敬愛するデヴィッドの本を日本の読者に届けることができる。しかも多くの著書をもつ彼にとって特別な意味をもつ本だ。翻訳をぼくに任せてくれたデヴィッドの友情と信頼に感謝したい。そしてぼくを助け、支えてくれたナマケモノ倶楽部の仲間たち、HNK出版の編集チームの皆さんにお礼を申し上げる。
  デヴィッド・スズキのレガシーが引き継がれ、生き続けますように。そして彼が照らし出してくれた希望への道を、彼に続く世代が胸を張って歩いていけますように。

2010年夏    辻 信一

訳書「いのちの中にある地球」についてはこちら

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