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世話人・辻信一のコラム


『カルチャー・クリエイティブ』刊行によせて

みなさん、いかがお過ごしですか。辻信一です。

最近出版された『カルチャー・クリエイティブ―新しい世界をつくる52人』という本について、
まだちゃんと説明をしていなかったと思います。

これは雑誌『ソトコト』での対話連載の51編を一冊にまとめたもので、実はこの中に
ナマケモノ倶楽部の仲間や関係者がいっぱい入っています。
(52人目はぼく自身ですから、アンニャ、中村隆市さんともども、ナマクラ世話人も勢揃い。
メキシコ、エクアドル、オーストラリア、カナダといったナマクラに縁の深い場所の仲間たちもいます。)

職業的な多様性もすごいですが、地理的にも世界中に散らばっていて、まとめていて、自分でも驚きました。
わがままをいって、100のCCキーワードも載せてもらいました。

ナマクラ会員であり、世界中、百数十という国を旅した「旅人」金井シゲさんのインタビューも
この本に載っています。そのシゲさんから、お手紙をいただきました。
その終わりにすごい言葉がありました。

『我、交わり合う、故に、我あり。』

本の冒頭を飾るサティシュ・クマールの

【君あり、故に我あり。】

と並ぶ名言ではないでしょうか?!


では、以下、長くなりますが、「カルチャー・クリエイティブ」という言葉について、
前に『スロー快楽主義宣言!』に書いた文章を引きます。なんだ、ナマケモノ倶楽部って
「カルチャー・クリエイティブ」だったの、と思っていただければ幸いです。

辻信一



新しい文化を創る人々の群れ

自分がこんなところに住みたいなって思うような世界を私は創ろうとしているの。
(セリア・トンプソン=トーピア)

自分の腹で考えること、リズミカルに考えること、有機的に考えること、
自分が自然の切り離せない一部だという観点から考えること。
地球に生きていくための知恵とはそういうことだ。
(ジーン・ヒューストン)


第三の潮流

20世紀から21世紀への境目に、来るべき時代のあり方を示唆する新しいことばが米国に現れた。
「カルチャー・クリエイティブ(CC)」、訳して「新しい文化を創る人々」。

2000年に出版された『The Cultural Creatives』で、著者のポール・レイと
シェリ・アンダースンはこう言った。米国の只中にフランスほどの独立国が
現れたら大騒ぎになるだろう。
しかし、今起こっていることはそれに劣らぬほど重大なことなのだが、
誰もまだそれに気づいていない、と。

ふたりの著者によると、これまでの米国社会はふたつの相異なる価値の体系の共存と
対立によって特徴づけられてきた。主軸をなす近代主義と、対抗軸をなす伝統主義。
前者は産業の時代を築き上げた思想であり、その信奉者である近代派{ルビ:モダンズ}は政治、
メディア、教育、産業など、現代社会の主要な領域のほとんどすべてを支配してきた。
近代主義{モダニズム}はあまりに深く広く浸透してしまったため、人々はそれを特定の
世界観や価値観だと思うかわりに、まるで空気のように当たり前のもの、
そしてそれ以外にはありえない「必然的なもの」と感じている。
一方、伝統派{トラッズ}は、「古き良きアメリカ」の神話的世界の復活を夢みている。
彼らは、世俗化し、利己主義的で、退廃的なモダンズに対して、男らしく自信にみちた
家父長を中心に団結する家族、素朴な田舎町の共同体意識、敬虔で勤勉なプロテスタントの
国といった価値を対置する。

近代派と伝統派というふたつの潮流に対抗するものとして、1970年前後には
ヒッピー・ムーブメント、フラワー・チルドレン、ベトナム反戦、ブラックパワーなどの
運動が現れたが、サブカルチャーとして社会の中に定着したのは1980年の調べによると
人口のわずか3%未満にすぎなかった。
しかし、90年代半ばにリヴァイス社が10万人、500団体を対象に行ったこれまで
最大の社会意識調査の結果、米国成人のおよそ4分の1が、モダンズともトラッズとも
全く異なる意識と価値観と行動パターンをもつ第3の潮流に属することがわかった。
この潮流に属する人々をレイとアンダースンはカルチャー・クリエイティブ(CC)と名づけたのだった。

その数は年々増え続け、今では5千万以上、米国成人人口の3分の1といわれる。
彼らは局地的にではなく、全米各地に広く存在している。中、上流階級に多く、
年収の中央値は4万7000ドル、年齢は42歳、大学卒は30%でモダンズや
トラッズに比べ教育レベルが高い。
男女比率は40対60で女性が男性より5割も多い。

ほんの2,30年の間にこれほど大きな潮流となったCCだが、つい最近までその存在に
気づくものはほとんどいなかった。CCのことをその著『マネー:なぜ人はおカネに魅せられるのか』で
初めて日本に紹介したベルナルド・リエターによると、その存在が「透明人間みたいに」
見えにくい理由として三つあげている。まず、この人々が政党や教団などの組織や団体を
つくろうとしないので、互いに顔も知らず、出会いの場ももっていないからだ。第二に、
社会の鏡としての働きをするはずのマスメディアが、いまだ近代派によってほぼ完全に掌握されていて、
新しい価値観とライフスタイルをもって生き始めている人々を集団として認識できないでいるせいだ。
だがメディアばかりではない。実は、近代主義的な価値観の中で育まれてき本人たち自身が、
いまだに自分たちを新しい文化の潮流として自覚するにいたっていない場合が多い。
それが三番目の理由だ。

その自覚を促すことになるはずだった「カルチャー・クリエイティブ」というキーワードは、
しかしその後、ブッシュ政権の誕生以来、9・11同時多発テロ、アフガン戦争、イラク戦争と
続く暴力の連鎖と政治の右傾化の中で、鳴りを潜めているかに見える。
しかし、それはCCそのものの退潮を必ずしも意味しない。
注意深く見れば、その存在は、イラク戦争に対する米国民の反応や、映画や音楽や
アートなどの大衆文化や、2004年大統領選に向けた動きなどの中に、色濃く影を落としているようだ。

もうひとつ重要なことは、米国のCCが、単に米国にのみ見られる孤立した現象ではないということだ。
例えば、レイとアンダースンが依拠した米国の社会意識調査よりもっと小規模とはいえ、
同様の調査が行われたヨーロッパや南米の国々でも、米国とほぼ同程度の割合で
カルチャー・クリエイティブ的な潮流の存在が確認されるという。
イタリアで始まったスローフード運動の世界的な広がり、WTOに代表される経済の
グローバル化やイラク戦争に対する反対運動の国際的な高まりなどの中にも、ぼくはCCの蠢動を感じる。
それは、これまでの「右」か「左」か、「保守」か「革新」か、「伝統」か「近代」か、
といった二者択一の外へと歩み出て、「もうひとつの世界{アナザー・ワールド}」の
可能性を提示する動きだ。
 

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