世話人のコーナー
辻信一
中村隆市
アンニャ・ライト
その他のコラム
 
その他

世話人・辻信一のコラム


松下竜一さん逝去によせて

2ヶ月ほど前から、下のようなキャンドルナイトへ向けてのメッセージを掲げていました。そしていよいよ当日が目の前という17日、松下竜一さんが亡くなってしまいました。ぼくは一度もお会いしたことはありませんでしたが、松下さんを命の恩人として敬愛されていた中村隆市さんから、よく話をうかがっていました。そして一読者として多くの励ましを得ました。今日からキャンドルナイトです。もう30年も前に「停電の日」とか「暗闇の日」という祝日を提案していた松下さんの思いが、今、こうして広がっているのかもしれませんね。御冥福を祈ります。

辻信一

<100万人のキャンドルナイト2004夏至 によせて>

作家の松下竜一さんが、自分の住む大分県中津市に予定されていた火力発電所の建設反対運動にとり組んでいた30年も昔のこと。ある夜、彼は家の電気を止めてしまったことがある。「火電建設反対などと生意気な運動をしながら、お前んとこの電気はあかあかとついちょっじゃねえか」。こんな匿名の嫌がらせ電話を受けて、「ふと冗談みたいに家中を暗闇にしてしまった」と彼は言うのだ。

 冷たくなった電気ごたつに一家3世代5人が寄り添っていると、子どもが問う。
「なあ、父ちゃんちゃ。なし、でんきつけんのん?」
松下さんが答える。
「うん。窓から、よう星の見えるごとおもうてなあ」
 松下さんはこの夜の「冗談みたい」な「自主停電」がきっかけとなって、大まじめに「暗闇の思想」ということを考えるようになったという。時は高度成長経済の時代、日本列島改造の最中だった。こんな時だからこそ、「暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないか」、と。

それから30年、ぼくもまた松下さんのように、電気を消してしばし暗闇の中に自分を浸してみようと思う。地球温暖化が悪化しようと、石油のために戦争が繰り返されようと、原発のために核廃棄物が増え続けようと、経済成長のためには、どんどんモノをつくり続け、煌々と照らされた街へ出てせっせと消費し続けることが美徳だと相変わらず信じられている。人と人が、人と自然とがこれほどに引き裂かれたことはない。そんな今、ぼくたちには暗闇の思想が必要なのではないか。
電気を消してスローな夜を過ごす。頭を冷やしてみよう。星が見えるかもしれない。蛍が見えるかもしれない。

コラムの目次にもどる