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辻信一
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世話人・辻信一のコラム


スロー・イズ・ビューティフル〜安息日のロウソクを灯す

皆さん、寒くなってきましたが、お元気ですか。
ぼくは長く北米に暮らしていましたが、そこでは、このクリスマス前の一時期は世の中が特別な空気に包まれます。ホリデー・シーズンの到来です。日本でも年末年始は特別な時ですが。特別な時。そう、それはかつて共同体や家庭を包み込む「聖なる時間」があったはずの一時期です。「あったはず」などという言い方をぼくがするのはなぜかというと、今では、「聖なる時間」は共同体や家庭からは引きはがされて、いつの間にか、企業に奉仕するショッピングと浪費のための時間へと変貌しているからです。

最近よく思うのは、ナマケモノ倶楽部の運動とは、奪われてきた「聖なる時間」を、ひとつまたひとつと再発見し、自分たちの側へと取り戻してくることではないか、ということです。こういうことを考えるに至るには、やっぱり、あの6月21日にやった自主停電、暗闇のウエーブがきっかけとしてあったなあ、と思う。皆さん、あれからちょうど半年、明日は冬至、一年で一番短い日、一番長い夜。多くの伝統文化が聖なる日として祭ってきた一日です。

ここで七つの提案です。
(1)クリスマス、年末年始はなるだけ買い物をしない。
(2)贈り物はなるだけ、クラフト、手作りの工芸品、それもできたら(部分的にでも)自分の手を使ってつくったものを。
(3)食事もなるべくスローフード、手作りのものを。
(4)灯りは聖なる時の演出には大事ですね。でも最近はやりの、あのやけっぱちみたいな醜い電飾じゃなく、ロウソクを使いたい。しかもできれば蜜ロウのような自然素材のものを。(ふつう市販されているのは石油素材のパラフィンを原料としている)。使っていない部屋の電気や暖房はまめに切る。そうすると今いる部屋のあかりに部分的に照らし出された空間がいっそういとおしく感じられる(と思わない?)
(5)携帯を切って、しばらく外の世界から切断され、音信不通、あるいは行方不明になるのもいい。
(6)紅白歌合戦をはじめ、できるだけテレビに依存する受け身的な時間をもたない。
(7)移動は自家用車を避けて、公共の交通機関を使う。渋滞にまきこまれていらいらしないためにも。

皆さんがナマケモノらしく、スローでこころ豊かな冬を過ごされることを祈っています。

辻信一
Dear fellow sloths, I wish you a slow and happy holiday season.
keibo the sloth


今晩は。雪がふりそうでふらないクリスマス。ぼくはこの時期を何年も北米で過ごしたので、やっぱりなつかしい。聖なる時間の取り戻しのことを前回書きましたが、あの直後、ぼくにとっては感動的なことがありましたよ。

22日、ぼくのゼミの学生たちが中心になって大学の隣の舞岡公園で餅つきをやったんですが、冬至の、しかも美しく晴れ上がったこんな日にもちつきなんて、なんて縁起がいいんだろうなどと言いながら、つきたてのお餅を、けんちん汁とともにいただいている時のこと、すぐ近くの池に、カワセミが現れたのです。明るい陽光の下、冬枯れの枝の上で、それは青く宝石のように輝いていました。そしてそれはぼくらが見ている目の前で、池へ飛び込んで、みごとに小魚を捕まえて見せました。

23日には、となりの家族を我が家に招いてちょっと早いクリスマス会。新しく越してきた家族の多いこの近所ですが、少しずつ、コミュニティという雰囲気が出来つつあります。うちのすぐ横に、廃屋が3軒かたまってあり、その周囲がちょっとしたしげみになっていますが、それはぼくにとっては「こころの内なる森」であり、聖なる空間なんです。メジロ、ウグイス、オナガ、シジュウカラなどはよく来ますし、冬にはジョウビタキがシベリアから戻って、あのカッカッカッカという音をたてます。夏にはトカゲがたくさん出るし、花が咲き乱れ、ちょっとしたジャングル。晴れて大気の澄んだ日には崖をのぼると今でも富士山が見える。
ここに住んで3年近くになりますが、最近は目を閉じてこの辺がかつてどんなに自然の豊かなところだったかを想像することが出来るようになりました。

広島のナマケモノ会員・キノからキノらしいすてきなメールが届きました。
「私からの提案は、自分に本当に素直になって、からだやこころの声に耳を傾けて、自然に気持ちいいことをいっぱいしようという事です。きっとそれはとてもスローでエコロジカルなことだとおもいますから」

うん、そうだよな、と思う。思う一方で、でもなあ、という想いもある。
 
大都会で生まれ育ったぼくには、残念ながら「自然に気持ちいい」というのがなかなかわからなかったんです。タバコの煙で目がしみるようなジャズの店で、好きでもない安酒を飲んで、なんていうのが趣味だった。カワセミよりはセクシーな女、というか。そんなぼくにはエコロジカルは必ずしも「自然」ではなかったし、今もない。

ぼくには聖なる時間とか空間というのは、必ずしも「自然」ではない。それは儀礼的で、意識的でしばしばわざとらしくて、ちょっときまり悪いくらいこともあるくらい。しかしそれでも時には意を決して、少し「頑張ら」ないと、もうどこまでもずるずると産業的時間や商業的時間、「時は金なり」の時の流れに、巻き込まれ、押し流されてしまう。そんな気がして、それなりに覚悟して、自分の周りに結界を張る。あの神社にある鳥居とかしめ縄みたいな。ここからはぼくの聖なる時間、ここからは聖なる空間ね、という風に。

そう、少しだけ「頑張る」。「頑張らないは自分」と宇宙塵は言うけど、そしてそれは多分本当だけど、しかし、「自分であるために」「自分のペース」を守るために、

砦を築く。そのために少しだけ「頑張る」。こんな風に、聖なる時間がすべて大企業の手のうちにあるような今、自前の手作りのホリーデーをつくろうと思ったら、最初のうちはちょっとくらいわざとらしくても仕方ないだろうな。

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