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世話人・辻信一のコラム


スモールー・イズ・ビューティフル、スロー・イズ・ビューティフル
(『マスコミ市民』2001年1月号より転載)

 今年はシドニー・オリンピックの年。「より速く、より高く、より遠く」の合唱がまた世界中に響きましたね。オリンピックの度にぼくは少年の頃の東京オリンピック(1964)を思い出します。思えばそれは、戦争による破壊からようやく這い上がった日本経済が、「永遠」の成長と発展と進歩を開始するのろしともなりました。

 1970年代の初め、エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーは当時のヨーロッパ経済共同体のある首脳のことばを紹介しています。「今日の社会の合い言葉は『もっと多く、もっと遠く、もっと早く、もっと豊かに』である」。この合い言葉を信奉する人々をシューマッハー博士は「猛進派」と呼ぶんですが、その猛進競争で、間もなく我々日本人は「ナンバーワン」、つまり金メダルに輝くことにもなります。

 そして今、猛進のオリンピックは世紀を超えて続いていこうとしています。30年前に書かれたシューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』は現代世界を30年にわたって包み込んできた一種の狂気を言い当てています。

 「われわれは前進すべきだし、弱気は禁物である。民衆が抗議の声をあげ、反乱を起こすなら、警官を増やし、その装備を強化すべきだ。環境問題があるならば、公害規制法をきびしくし、公害対策費用を捻出するために経済成長を早める必要がある。天然資源が問題ならば、人造資源を考えればよい。化石燃料に問題があるとするならば、原子炉を高速増殖炉に変え、核分裂から核融合に進もう。解決できない問題などないのだ」

 経済至上主義は今、グローバリズムという怪物となって世界を駆けめぐっている。そして科学技術至上主義は、優生思想と結びついて生命操作に人々を駆りたてています。経済学者シューマッハーはこう言っていました。もし経済学というものが、国民所得とか成長率とかいった抽象概念をいつまでも乗り越えることがけいないならば、そして「貧困、挫折、疎外、絶望、社会秩序の分解、犯罪、現実逃避、ストレス、混雑、醜さ、そして精神の死というような現実の姿に触れないのであれば、そんな経済学は捨てて、新しく出直そうではないか」、と。

 また彼は技術について、「より速く、より多く」の大量生産に奉仕する巨大技術ではなく、「大衆による生産」(マハトマ・ガンジー)に奉仕する民主的技術を提唱していました。

 「わたしは技術の発展に新しい方向を与え、技術を人間の真の必要物に立ち返らせることができると信じている。それは人間の背丈に合わせる方向でもある。人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいのである」。だから、スモール・イズ・ビューティフル。

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 40年も日本に住んでいるダグラス・ラミスは新しい本の中で、21世紀へのとば口に立った今も相変わらず経済至上主義で消費の動向に一喜一憂している我々の姿を、タイタニック号の乗り組み員に喩えています。氷山に向かって突き進んでいる船の中にあって、いずれ氷山にぶつかることはみんな知っているけれど、それが「現実的」なものと把握することがなかなかできない。「氷山にぶつかるぞ」と叫ぶ者がいれば、「またその話?」と揶揄され、「エンジンを止めろ」という者は非常識、非現実主義的だと相手にされない。そこではタイタニックというこの船だけが唯一の現実となっているわけです。なぜエンジンを止められないかというと、「タイタニックという船は前へ進むようにできているわけで、前に進まなければみんなの仕事がなくなるし、どうすればいいか分からなくなる。前に進むということがタイタニックの本質なのです」

 前に進みつづけることを促すこうした論理をラミスは「タイタニック現実主義」と呼びます。そして「現実主義的な経済学者」たちが「全速力!」という命令を出し続けている。「スピードを落とすな!」、「もっと速く!」

 ラミスは「発展」とか「進歩」とかいう厄介なことばを一気に投げ捨ててしまうのではなく、一応引き受けた上で、これまでの「発展」に対して「対抗発展」、「足し算の進歩」のかわりに「引き算の進歩」を提唱します。例えば我々は機械技術にますます依存し、従属するようになって、その分人間の能力を萎縮させ、人間同士の関係や自然との関わりを狭く浅く窮屈なものにしている。この機械がないとこれができない、あの機械がないとあれができない、というふうに。そこで物を少しずつ減らして、その代わり、物がなくても平気な人間になったらどうだろう。人間の能力の代わりをする機械を減らして、人間の能力を伸ばすような道具を増やす。テレビをつけて「文化」を見るのではなく、自分の家で文化を創る。本来の意味における文化−−自前で生きていることを楽しむ能力を、とり戻す。

 生活の簡素化とか節約という引き算は、経済成長という足し算に慣れきっている者には消極的で後ろ向きな感じがするかもしれない。でもラミスにとって、それは人間にとって本来の快楽や豊かさをめざす、積極的で前向きな考え方です。彼はまた「時は金なり」をひっくり返して「金は時なり」にする。つまり時間をどんどん換金するようなこれまでの生き方をやめにして、金を減らしてでもゆったりとした人間らしい時間をとり戻そう、と提案しています。確かに、人間らしい時間、ペースというものがあるはずですよね。それは本来ゆったりとしたもののはず。だからスロー・イズ・ビューティフル。

註)引用は、E.F. シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』(講談社学術文庫)、ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(平凡社)より

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