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世話人・中村隆市のコラム


チェルノブイリと劣化ウラン弾

先週、『アレクセイと泉のはなし』という本が本橋成一さんから贈られて来ました。

  ぼくの名まえはアレクセイ。
  ベラルーシという国の、
  ちいさな村に住んでいる。

  家族は、父さんと母さん、
  ウマのルイシックに
  イヌのワウチョック。
  そのほかにも、仲間たちがいっぱい。

  もうずいぶんむかし、
  1986年4月26日のこと。

  ぼくたちが畑にジャガイモを植えて
  家に帰ったとき、
  何かがはじまった。

という書き出しで始まる素敵な写真絵本です。

本橋さんの便りに「相変わらずのアレクセイです」と書かれてありましたが、私はアレクセイが好きなので本橋さんにはずっとアレクセイのことを伝えてほしいと思っています。

きょうは、4月26日です。
18年前の今日、チェルノブイリ原発が爆発しました。

原子力発電所が恐ろしいのは、毒性が長く続く放射能をつくりだすことです。

ナマクラ会員の矢野宏和さんや谷口恵さんが中心となってチェルノブイリ原発事故被害者の医療支援を続けていますが
この支援(チェルノブイリ支援運動・九州、会員2800名)は14年も続いています。

それは何故かというと、被害がいっこうに収まらないからです。

これを書きながら、私の脳裏には、米軍がイラクで使用した劣化ウランのことが思い浮かんでいます。放射能の半減期が45億年という人間の想像力が及ばない劣化ウランの毒性が、どれほどの被害を及ぼすのか、恐ろしいのです。

イラク戦争が始まる前のイラクの人口は2400万人で、その内半分が15才以下の子どもたちでした。放射能は、細胞分裂の活発な(低年齢の)子どもたちほど被害を受けます。

ベラルーシで、たくさんの子どもたちが、放射能の被害で苦しむ姿を見てきた私は、その姿がイラクの子どもたちと重なります。

いつか、米国人の多くもこの戦争と劣化ウラン弾を使用した愚かさに気づく日が来ると私は信じていますが、この戦争を
支持した日本も米国と共に、放射能の被害がなくなるまで医療補償をすべきでしょう。


4月26日は、暗い話題になりがちですが、二つほどいいニュースがあります。一つは、チェルノブイリ支援運動で募集していた移動検診車の購入費用が集まって、2台目の検診車を購入できるようになったことです。

これでベラルーシでの医療支援を今までと同じように継続することができます。

もう一つは、ナマクラ会員の皆さんからイラク医療支援基金に多くのカンパが寄せられ、その一部が現地に送られたことです。詳しい報告は、後日お送りします。

カンパをお寄せいただいた皆さんに、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

中村隆市


【移動検診車(愛称:雪だるま号)のこと】------------

1986年に起こったチェルノブイリ原発事故後、ベラルーシで急増した小児性甲状腺ガンの問題に対処するため、チェルノブイリ支援運動・九州では、1990年から医薬品や医療機器などを現地に届けてきました。そして1996年からは、甲状腺ガンの早期発見・早期治療を目的とした検診活動を開始しました。

この検診の特徴は、日本の医師とベラルーシの医師とともに検診を行い、正確な検診を行うと同時に、その検診技術を現地の医師に伝えることにあります。ベラルーシにおいてそうした活動を展開する際に、重要な役割を担ったのが、「雪だるま号」と名付けられた移動検診車です。

限られた現地での滞在期間のなかで、支援を実施するのに必要なのは、何より迅速な移動。1996年にチェルノブイリ支援運動・九州からベラルーシ赤十字に寄贈されて以来、「雪だるま号」は、医師団の移動手段としてそれを可能にしただけでなく、現地の状況を知るための取材や日本のチェルノブイリ支援団体の活動にも利用されました(本橋監督の映画製作に協力している日本チェルノブイリ連帯基金も、医療支援の際に雪だるま号を活用しています。)

7年間に渡る活動のなかで、雪だるま号の走行距離は、約30万キロ、地球をおよそ7周した計算になります。走り続けた雪だるま号はボロボロになり、昨年、廃車となりました。

しかし、多くの方のご協力により、新たなる雪だるま2号の購入の準備も完了しました。遅くとも今年の夏には、緑に包まれたベラルーシの大地を走ることになります。

今後も、皆様のご協力を仰ぎながら、雪だるま号とともにチェルノブイリの被災者の支援を続けていく所存ですので、ご協力のほど、よろしくお願い致します。

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