| 「2003年世界の平和に最大の脅威を与えているのはどの国でしょう?」という質問をタイム誌のヨーロッパ版が投げかけたところ、次の結果が出た。北朝鮮
6.7 % イラク6.3 % 米国86.9 %(投票総数706,842)(こちらを参照)
日本ではこの数年、日米新ガイドライン関連法、盗聴法、国旗国歌法、アフガニスタン攻撃、イラク攻撃の支持、有事法制などが充分な論議がないままに次々と決められ、今またイラク自衛隊派遣法が成立しようとしている。
「世界の平和に最大の脅威を与えている国」とそれを後押しする日本は、環境破壊や汚染によっても未来世代のいのちを奪い続けている。本当は一部の人間が大儲けしているが、「国益」や「経済成長」を他国の人びとや未来世代のいのちよりも優先している。そんな情勢の中、6月8日の『ピースローソク』出版記念パーティーに「平和の灯」を届けたいと思い、福岡から京都経由で東京にその火を持参しました。
京都では、将来カフェをやりたいという若い女性たちが、6月20日に京都精華大学で企画している「暗闇ナイト」で平和の火を灯すことになりました。その夜におじゃました「論楽社」という塾でもあり、出版社でもある友人宅では、若い人たちがたくさん出迎えてくれ、彼らも6月22日に「平和の灯」を使ってピースローソクのイベントを企画してくれることになりました。
58年前の8月6日の残り火には、見えない力が宿っているような気がします。平和の灯を前に私は、大学生や20代の若い人たちに、自分が若いころに大変お世話になった方の話をしました。大分県に住む作家の松下竜一さんが、その人です。もし、松下さんに会っていなければ、私は「ナマケモノ」や「スロー」の重要性に気づいていなかったかもしれません。
いずれは、ナマクラの皆さんにも松下さんのことをお話したいと思いますが、今日は、松下さんが29年前に書いた『暗闇の思想』という文章を紹介します。「ピースローソク」というダジャレを思いついたときに、一緒に脳裏に浮かんだのが『暗闇の思想』でした。
中村隆市
* * *
暗闇の思想
真冬の一夜、私は家中の電気を止めてしまったことがある。「発電所建設反対などと生意気な運動をしながら、お前んとこの電気はあかあかとついちょっじゃねえか」という、誰とも知れぬいやがらせ電話を受けて、ふと冗談みたいに家中を暗闇にしてしまったのだ。その夜、電熱をうしなった電気ごたつの底に幾枚もの毛布を敷き詰めて、おのずからなぬくもりを待ちつつ老父と妻と二人の幼な子と寄り添うていた。
「なあ、とうちゃんちゃ。なし、でんきつけんのん?」
「うん。窓から、よう星の見えるごとおもうてなあ」
「そうかあ。ほしみるき、くろうしちょるんかあ」
寒さの中で開いた窓から、区切られてほんの狭くにしか見えない夜空に、それでも星が幾つも見えていた。
「とうちゃん、なし、こたつつめたいのん」
「うん、今からおとうさんがのう、かわいそうな女の子の話しをしてやろうなあ。----雪の積もった夜の町を、マッチを売って歩く女の子の----」
「ああ、おとうさん、しっちょるちゃ、マッチうりのしょうじょじゃろ、な、な」
「うんそうだよ。----女の子のほっぺたも手も足もこごえてしもうて冷たいんど。----ケンもカンも、冷たいこたつで、辛抱して聞きなさいよ」
なぜかとっさに思いついて、私は二人の幼な子にアンデルセンの童話を語って聞かせた。もう幾度も見せた本だから、上の子の健一はすでに記憶していて、「そんとき、ばしゃががらがらとはしってきて、おんなのこのくつがぬげたんじゃろ、とうちゃん」などと先をいう。
「とうとう寒さに、女の子は家の陰に座り込んで、こごえた手をスカートにくるんだんだよ。それでもぬくもらないんで、ハーッと息を吐きかけたんだ。それでも少ししかぬくくならなかった。その時、女の子はふっといいことを思いついた。なんだったかなあ?」
「マッチをするんやろう、とうちゃん」
「そうだね。女の子は売れないマッチを一本だけすったんだよ」
そういって、私はマッチをシュッと擦ったのだった。暗い部屋に、思いがけないほど美しい炎がともった。それは、寄り添うて驚きの目をみはっている健一と歓の瞳の中にも、小さくキラキラと燃えた。マッチ売りの少女が昇天して、物語がすんでも、その夜私は二人の幼な子になお幾本ものマッチを擦らされ続けた――
その夜の思いを踏まえて、私は「暗闇の思想」という小文を「朝日新聞」に書いた。
*
あえて大げさにいえば、「暗闇の思想」ということを、この頃考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。きっかけは電力である。原子力を含めて、発電所の公害は今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。もともと、発電所建設反対運動は公害問題に発しているのだが、しかしそのような技術論争を突き抜けて、これが現代の文化を問いつめる思想性をも帯び始めていることに、運動に
深くかかわる者ならすでに気づいている。
かつて佐藤前首相は国会の場で「電気の恩恵を受けながら発電所に反対するのはけしからぬ」と発言した。この発言を正しいとする良識派市民が実に多い。必然として、「反対運動などする家の電気を止めてしまえ」という感情論がはびこる。「よろしい、止めてもらいましょう」と、きっぱりと答えるためには、もはや確とした思想がなければ出来ぬのだ。電力文化を拒否出来る思想が。
今、私には深々と思い起こしてなつかしい暗闇がある。10年前に死んだ友と共有した暗闇である。友は極貧のため電気料を滞納した果てに送電を止められていた。私は夜ごとこの病友を訪ねて、暗闇の枕元で語り合った。電気を失って、本当の星空の美しさがわかるようになった、と友は語った。暗闇の底で、私たちの語らいはいかに虚飾なく青春の思いを深めたことか。暗闇にひそむということは、何か思惟を根源的な方向へと鎮めていく気がする。それは、私たちが青春のさなかにいたからというだけのことではあるまい。皮肉にも、友は電気のともった親戚の離れに移されて、明るさの下で死んだ。友の死とともに、私は暗闇の思惟を遠ざかってしまったが、本当は私たちの生活の中で、暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないかと、この頃考え始めている。
電力が絶対不足になるのだという。九州管内だけでも、このままいけば毎年出力50万キロワットの工場をひとつずつ造っていかねばならぬという。だがここで、このままいけばというのは、田中内閣の列島改造政策遂行を意味している。
年10%の高度経済成長を支えるエネルギーとしてなら、貪欲な電力需要は必然不可欠であろう。しかも悲劇的なことに、発電所の公害は現在の技術対策と経済効率の枠内で解消し難い。そこで電力会社や良識派と称する人びとは、「だが電力は絶対必要なのだから」という大前提で、公害を免罪しようとする。
国民すべての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理が出てくる。本当はこういわねばならぬのに――誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。じゃあチョンマゲ時代に帰れというのかと反論が出る。必ず出る短絡的反論である。現代を生きる以上、私とて電力の全面否定という極論をいい
はしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。日本列島改造などという貪欲な電力需要をやめて、しばらく鎮静の時を持とうというのである。(中略)
たちまち反論の声があがるであろう。経済構造を一片も知らぬ無名文士のたわけた精神論として一笑に付されるであろう。だが、無知で素朴ゆえに聞きたいのだが、いったいそんなに生産した物は、どうなるのだろう。タイの日本製品不買運動はかりそめごとではあるまい。公害による人身被害精神荒廃、国土破壊に目をつぶり、ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。
「いったい、物をそげえ造っちから、どげえすんのか」という素朴な疑問は、開発を拒否する風成で、志布志で、佐賀関で漁民や住民の発する声なのだ。反開発の健康な出発点であり、そしてこれを突きつめれば「暗闇の思想」にも行き着くはずなのだ。
いわば発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝されるなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、「暗闇の思想」があらねばなるまい。まず、電力がとめどなく必要なのだという現代神話から打ち破らねばならぬ。ひとつは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省でそれは可能となろう。
冗談でなくいいたいのだが、「停電の日」をもうけていい。勤労にもレジャーにも加熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でもテレビ離れした「暗闇の思想」に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。私には、暗闇に耐える思想とは、虚飾なく厳しく、きわめて人間自立的なものでなければならぬという予感がしている。
(1974年3月刊 朝日新聞社「暗闇の思想を」から抜粋)
|