「しないこと」リストのすすめ ~はじめに

2014年10月02日

辻 信一

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「しないこと」リストのすすめ
——人生を豊かにする引き算の発想——
はじめに

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何をしたか、ではない。
ひとは何をしなかったか、だ。
(長田弘「詩人の死」より)

「サッパリしたい」、「すっきりしたい」、「ホッとしたい」、「のんびりしたい」・・・。あなたはそう願っていないだろうか?
ぼくは言いたいのだ。あなたのその「すっきり」「のんびり」という引き算の衝動の中に、人生をよりよく幸せなものとするための重大なヒントがある、と。そればかりではない。ぼくたちが生きているこの社会を、もっとすてきな場所にするための手がかりが、そこにはきっとある、と。

*     *     *

 深呼吸して、この広い世界を眺めてみてほしい。紛争、戦争、飢餓、格差、環境危機、食糧危機、エネルギー危機、金融危機、経済危機・・・。おまけに今も続く福島第一原発をめぐる放射能汚染の危機。やれやれ、大変な時代にぼくたちはめぐり合わせてしまった。
それは、「終わりなき経済成長」をテーマとする一大ドラマの結末だ。貪欲を美徳とし、「もっと、もっと」を合言葉に、「より速く、より多くのことをする」ことを競い合う社会が行き着いた場所がここなのだ。

もう一度深呼吸して、こんどは身のまわりを見てほしい。そして気づいてほしい。どこもかしこも、何から何まで、モノやコトがとにかく多すぎるのだということを。
ぼくたちの生きる世界の風景は、「過剰」というひとことによって表わすことができるのではないか。モノの過剰、生産の過剰、商品の過剰、欲望の過剰、競争の過剰、情報の過剰。そしてそれらすべての過剰を支えているのは、「すること」の過剰。
その過剰は世界を危機の淵に連れてきたばかりではない。ぼくたちひとりひとりを窮地に追い込んでしまったのだ。

「すること」が多すぎる状態を「いそがしい」という。そしてそれを漢字で「忙しい」、つまり、「心が亡くなる」と書く。あなたの心はどうだろう?
でも、忙しい自分を責めてはいけない。世界で一、二を争う豊かさのためには世界で一、二を争う忙しさも仕方がない、というのがこれまでの社会「常識」だったのだから。不況の時代が来れば来たで、「休みたい」「のんびりしたい」「好きなことをしたい」「もっと家族との時間を」などと言えば、「今はそれどこじゃない」と言われる。「すること」や「しなければならないこと」は増える一方だ。そして、気がつけば、ぼくたちは、世界でももっとも長い「すること」リストを抱える国民になっていた。

*     *     *

「より速く、より多く」というこれまでの物語に終わりが来るのを止めることはできないし、ハッピーエンドにすることもできないらしい。でも失望しないでほしい。まだ、道がすべて閉ざされたわけではないのだから。終わろうとしている古い物語に代わる、新しい物語をつくるという道が残されている。
長田弘の「ねむりのもりのはなし」という詩に、「あべこべのくに」のことが出てくる。

いまはむかし あるところに
あべこべの くにがあったんだ
はれたひは どしゃぶりで
あめのひは からりとはれていた
・・・
つよいのは もろい
もろいのが つよい
ただしいは まちがっていて
まちがいが ただしかった

 ぼくたちは、これまで、「あべこべのくに」に住んでいたのかもしれない。危機のオンパレードみたいなこの時代に、思い切って、「あべこべのあべこべ」という大転換を試みてはどうだろう。豊かが貧しさで、貧しさが豊かさ、というように、これまで主流だった考え、や「常識」と言われていたものをさかさまにひっくり返してみる。
そして、「すること」と「しないこと」がひっくり返って逆になってしまうような、もうひとつの「あべこべのくに」を、心に描いてみることもできる。「危機」の「機」は「機会」の「機」でもある。2011年の東日本大震災は、ぼくたちにそんな発想の大転換を促しているのではないか。

この過剰の時代のぼくたちにできるもっとも価値ある仕事、それは、引き算(マイナス)、つまり、「しないこと」なのではないか。そしてこれからは、ぼくたちの人生にとって、社会にとって、マイナスこそが何よりプラスになる。たぶん。
 まずは、今日ひとつ、昨日までしていたことを「しないこと」にする。そして「すること」リストの横に、そっと「しないこと」リストを置いてみる。きっとそこから何か大事なことが始まるだろう。

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