気候変動か、社会システムの転換か? by ローカル・フューチャーズ

2016年01月07日

辻 信一

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Climate change or system change? 
気候変動か、社会システムの転換か?
by ローカル・フューチャーズ

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2015年12月に合意された「パリ協定」についてどう考えるか、ローカリゼーション運動をけん引する『懐かしい未来』著者、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジを先頭とする「ローカルフューチャー」が声明を発しました。ヘレナさんたちの「ビッグ・ピクチャー」論にもとづく視点はとても重要で、日本にも広げる必要があると思い、ナマケモノ有志で翻訳しました。辻信一さんの監修を経て、連載方式で紹介していきたいと思います!
>>原文(英語)で読みたい方はこちら。

After Paris: Climate Change or System Change?

ともに国際的な「グローバルからローカルへ」運動を担う仲間として、そのリーダーたちから届いたこの宣言に学び、それをシェアし、これからの運動の指針としたい。辻信一


“温暖化を2度の上昇で食い止めようと思うなら、経済における根本的な変化が必要だ。まず、犠牲を顧みず経済成長を優先させるグローバル化の道から離れること。そして、多様性を重んじ、人々と地球の本当のニーズに応えるローカル経済へと方向転換すること!”

多くの人々が、パリの気候会議での参加者たちの真剣な取り組みの様子に励まされたとしたら、それはもっともなことです。各国政府がやっと真面目な態度で気候変動に向き合い、具体的な行動へと歩み出す決意を語っているのですから。それを認めるとしても、では、人類が気候変動による破局を逃れるために本当に必要な方策をとることに、この会議は成功したのかと言えば、答えはノーです。実は、CO2排出量を減らす最も効果的な方法さえ、議論されずじまいだったのですから。問題の真の原因であるシステムそのものを問うこともなく、代表団はバラバラで中途半端な解決策もどきについてのおしゃべりに終始したのでした。

温暖化を、2℃以内に抑え込もうとするなら、(そして最も温暖化の被害の影響を最も受けやすい国々が主張する1.5℃以内なら、なおさら)、経済のあり方そのものを、根本的に変える大転換が必要です。その大転換とは何か。それはまず、犠牲を顧みずに成長を追い求め、巨大な企業や金融機関ばかりを優先するようなグローバル経済システムから離れることです。そして、多様性を重んじ、人々と地球の本当のニーズに応えるローカル経済へと方向転換することです。

こうした転換がもたらしてくれる恩恵は、単に温室効果ガスの排出の大幅削減にとどまりません。それは、雇用の創出、グローバル企業の支配力の削減、空洞化しつつある民主主義の再強化、さらには、各種の原理主義、民族対立、テロリズムの勢いを削ぐことにもつながるにちがいありません。そして、それこそが、グローバルからローカルへというこの変革の強みなのです。これまで社会問題や環境問題に個別に対応しようとしてきた様々な運動が、今こそひとつに団結して、今や事実上の支配者として世界に君臨する巨大企業・銀行を倒すことのできるパワフルな運動を創り出そうではありませんか。(詳しくは「ローカリゼーション—:幸せの経済学への道筋」レポートを参照)

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photo:Alice Pema


“「温暖化否定論」を振り回すことだけが大企業連合の作戦ではない。他の様々なやり方を駆使して、彼らは気候問題の根本解決への道を阻むことに成功してきた。”

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メディアはもちろん、そして環境活動家でさえ、多国籍大企業が気候変動をめぐる議論を当初からいかにねじ曲げてきたことかについて、十分認識できていない面があります。問題は、単に、企業側に立った“科学者”たちが、気候変動の原因についての議論を混ぜ返そうとしたり、時には、その存在そのものを否定したりするのに、とどまりません。もちろん、否定論が問題であることには変わりはないのですが。例えば、最近内部文書によって暴露されたように、一貫して温暖化を否定してきたエクソン・モービル社は、温暖化が話題になる7年前の1981年にはすでに問題を認識しながら、それにうまく対応し、そこから利益さえ引き出す戦略を立てていました1。他の化石燃料企業とともに、エクソンは何百万ドルというお金を一部の科学者たちにつぎ込んで、温暖化がいまだに証拠のない、議論の余地のある、つまり、疑わしい理論であると宣伝してきたのです。

しかし、これなどは、温暖化問題解決への道に立ちはだかる、一番目立ちやすく、わかりやすい障害の一例であるにすぎません。私たちが注意を払うべきは、大企業を取り巻くシンクタンク、ロビイスト、そしてPR会社などが、もっと洗練された、もっと狡猾な戦略を駆使してきたことです。それは、一般社会の中に深くもぐり込み、人々の思考を左右してきたのです。

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戦略その1:個人への責任転嫁

長年にわたって大企業がとり続けてきた戦略とは、気候変動についての批判をかわすために、個々人に責任を転嫁することです。2006年に発表されたアル・ゴアのドキュメンタリー映画「不都合な真実」のポスターの中に、地球温暖化の脅威に対して“今あなたにできること”のリストが掲げられていましたね。例えば、こうです。電球を変えてみよう、お湯の使用を減らそう、車のタイヤ圧を適正に、などなど。その一つひとつはもっともなことですが、しかし、それら全てを合わせても、到底、温室効果ガス排出全体を減少させるには程遠いものばかりです。

暗に、温暖化危機の原因が消費者個々人にあるかのような言い方をして、問題解決の責任をそちらに押しつける。そうすることで、温室効果ガスのほんとんどを排出してきた産業の責任をぼやかし、危機の真の原因がシステムそのものにあるということから目をそらすという策略なのです。例えばそこには、世界中の子どもたちを思慮のない過剰消費者に変えてきた広告業界の責任についての言及はありませんでした。GDP(国内総生産)を社会の目標として経済成長のために過剰消費を煽りたててきた政府の責任も問われません。また私たち市民の税金が化石燃料やグローバル貿易のための補助金に消えていることが取り沙汰されることもありませんでした。その一方で、単なる消費者へと貶められた一般市民は、大企業が支配するこの体制に対して、文句も言わずに、ただ従うようにし向けられてきたのです。

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戦略その2:「市場原理による解決」という宣伝

産業界は、温室効果ガス排出を減らすためには全世界的な規制より、自由な市場取引こそが最善の方法である、という説を一般社会に売り込むことに成功してきました。この戦略によって、多国籍企業は単に自らを防衛したばかりか、その権力を一層増大させたのです。例えば、温室効果ガス排出権取引では、大企業は実質的に「地球を汚染する権利」を札束で買うことができます。それは、全ての生きものが生きるために必要とする大気を商品化して、一番高い価格をつけた買い手に売ることができる仕組みです。世界の多くの国よりも、巨大な多国籍企業の方がお金持ちというこの時代にそんなことをすれば、どういう結果になるかは明らかでしょう。

同じように市場原理を使った手法が、地球上にわずかに残された熱帯雨林を“守る”ために使われている事例もあります。しかし、ブラジルの環境活動家カミラ・モレノが指摘しているように、こうしたやり方が適用されれば、長らくコモンズとして共有され、人々の生活を支えてきた土地が、私有化され、商品化されてしまうのです。彼女は問いかけます。「生物多様性の宝庫であり、先住民族の住処である、地球上最後の公共の森や土地を、金融市場に直結させてしまうことが、本当にまともな国際公共政策と言えるのでしょうか?」と。

もう一つ、市場原理に基づく経済手法が根を張っているのが再生可能エネルギーの分野です。世界の主たるエネルギー源として、再生可能エネルギーが化石燃料にとって代わるべきなのは確かですが、一方で、持続可能社会を実現するには全体のエネルギー需要を大幅に減らしていく必要があるのです。それにもかかわらず、再生可能エネルギーはしばしば現状のグローバル経済システムを存続させるための手段として語られています。つまり、システムはそのままにしておいて、それを動かす燃料だけを替えればいいというわけです。「エコウォッチ(EcoWatch)」のウェブサイトにはこういう見出しが躍っています。「再生可能エネルギーと経済成長は手をとり合って進む」

何十億ドルもの政府の補助金のおかげで再生可能エネルギー分野はすでに多くの大手企業の関心の的です。例えば、スペイン系の多国籍企業「イベルドローラ」はイギリスで4番目に大きい電力会社であり、かつアメリカや南米、ヨーロッパ市場でも主要な地位を占めている企業ですが、一方で世界一の風力発電会社でもあるのです。またカナダの天然ガス会社ガズメトロ(タールサンド大手のエンブリッジが主要株主)は多くの産業用風力発電プロジェクトへの主要な投資家でもあります。これらの国際的大手企業が投資する再生エネルギープロジェクトは大規模かつ集中管理型です。つまり、エネルギー供給が、相変らず大企業の手の内にとどまる、ということです。

結局のところ、市場原理に基づく解決方法に頼るということは、より大きく強いものが有利になるようにできている市場という仕組みそのものに依存することを意味するのです。

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photo:Katie Fehrenbacher

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戦略その3:「南北格差論」による合意の妨害

過去の気候変動対策についての合意形成が失敗してきたのは、富める国々と貧しい国々の対立に原因があるとよく言われてきました。すなわち裕福な先進工業国には、現在の大気中の過剰CO2を排出してきた責任があり、一方貧しい発展途上国の気候変動への関与の度合いは低く、今後も自国の発展のために化石燃料を消費し続けることを望んでいる、というわけです。

このような「南北格差」の枠組みの中では、貧困がCO2排出増加の口実として利用され、同時に大企業による発展途上国からの搾取も正当化されます。一連の“自由貿易協定”のおかげで、グローバル企業は自由に、最低賃金水準の場所である貧困国を選んで、生産の拠点を置いています。アメリカの「ウォルマート」で売られているバービー人形やバーベキューセットが、「南」の貧しい国の工場で作られるという構図の中で、大気汚染を続けながら操業する工場から利益を上げているのは誰なのでしょうか? そういう国により多くの温室効果ガスを排出する権利を与えるということは陰謀すれすれの策略なのです。それは、多国籍企業が世界各地で生産し、販売し、儲けを上げ続けるために、膨大な量の化石燃料を燃やすことを許されることに他なりません。

でも、「発展したい」という貧しい国々の願いはどうなるのか、と思われるかもしれませんね。しかし、この問いには、「南の国々は北の国が歩んできたのと同じ道を進まなければ貧困を脱却することができない」という思い込みが含まれています。もはや地球がそういう発展の道筋に耐えられないということもありますが、それだけでなく、従来の経済発展なるものは、大多数の人々の暮らしを改善することに実は失敗してきたのです。通常、生活水準の尺度として国民一人当たりGDPを使いますが、それ自体が問題です。GDPの数値はどうやって上がるか、考えてみてください。持続可能レベルを超えて資源を掘り出し、輸出する時、コミュニティや家庭で行われていた無償の活動が商業ベースに置き換えらる時、また自給型の生活をしていた農民が都市スラムに追いやられる時・・・。そして何百万という人々が貧困の淵へと追いこまれる一方で、ほんの一握りの億万長者が生まれる。経済発展とはこうしたものなのです。多くの貧しい国々では、GDPが上がっても、それが示すはずの成長や発展が実際にもたらしたのは、大多数の人々の生活の質の低下でした。(つづく)

翻訳監修:辻信一
翻訳チーム:宇野真介、中久保慎一、和田彩子
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