石ころと雑草と雑菌のエコロジー~ファン・デグォンのLife is Peace

2013年05月25日

辻 信一

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石ころと雑草と雑菌のエコロジー

辻 信一

 ぼくはファンさんのことを「バウ」という愛称で呼ぶ。それは古い朝鮮半島の言葉で「石ころ」を意味する。彼が獄中で絶望の果てにカトリックに入信し、洗礼を受けた時、西洋風の名前をもつことに違和感を覚え、「石」を意味する聖徒ペテロの名にちなんでつけたものだそうだ。

 同じ石でも、それは宝石でもなければ、巨岩でも、名石でもない。路傍の、ちっぽけな、名もない石ころである。
 バウさんの眼は厳粛で、しかし、同時に優しい。その表情には深い悲しみが、そして同時に、底抜けの愉快な笑いが潜んでいる。バウさんとは、いつも、ふたつの一見相反するものの融合である。
 彼の住む国はいまも分断され、反目し合っている。いや、世界中が、相反するもの同士がぶつかり合い、争う場所ではないか。そのただ中で、しかし彼は「いのちの本質は平和である」と高らかに宣言する。そし
て、その祈りのような言葉を、自ら、体現する。

 人はともすると、よりよい場所を求め、今いる場所を軽蔑する。しかし、本当の問題は、今いる場所でどう生きるか、なのだ、とバウさんなら言うだろう。実際、どこにいても彼の周りにはいつも凛とした、澄んだ空気が漂っている。
 この透明感はどこからやってくるのか? そのヒントは、彼の合言葉、「トロッケ・サルジャー(汚く生きよう)」にある。
 獄中での13年を通じて、バウさんの暮らしは、ぼくたちの社会が嫌悪し、蔑視するものたちとともにあった。中でも、生まれ変わった彼の新しい世界観の核となったのは、雑草と雑菌だ。それらが息づく低い場所へと降り立つことによって、彼は蘇った。そして、それらを忌避することによってついには崩壊の危機に喘ぐことになった現代文明に対して、彼は最も透徹した目をもつ批判者となり、さらにはそれに変わる新しい社会の予言者となったのである。

 この映画を通して、あなたの人生に、ぼくの大好きなバウさんが入ってくることを想像して、ぼくはワクワクしている。

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