衣食住の自給を目指すチモン村を訪ねて 仲吉京子

2015年05月27日

その他
【ブータンGNHツアー2015春レポート】
衣食住の自給を目指すチモン村を訪ねて 

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仲吉京子

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今回のツアーで、チモン村における〝衣食住の自給〟について3日間の民泊での体験をご報告したいと思います。〝衣〟については 2012 年からスタートした 40年ぶりに復活したコットン栽培〝チモン・モアン〟プロジェクトのその後を。

〝住〟については チモン村での古くから建てられている伝統的な古民家の測量と村で調達できる家の建築部材などを、建築家でスローデザイン研究会代表の大岩剛一さんが調べました。〝食〟については 村で食べられている料理を中心に 村の畑の様子などを。「世界一辛い料理の国」として知られているブータンの気候風土について何故辛い料理を食べるのかを陰陽五行で考えた私個人の見解をレポートしたいと思います。

【 ブータンの〝食〟について 】

食についてお話する前に〝身土不二〟という考えのもとに 私は普段から食事を摂っています。〝身土不二〟とは 身体(身)と環境(土)はバラバラではない(不二)。という意味です。また、食べ物を含め 空気、光、音、熱、湿気・・・など様々な物を身は取り入れています。これが気候風土に合っていない熱帯のバナナや夏の胡瓜、トマトを食べると体を冷やしたり、また大根、大根葉、人参などの根菜類は体を温めてくれます。ですからその土地、その季節に合った食べ物を摂ることがとても大切だと考えています。逆に言えば、その季節にその土地で採れた食べ物を食べるということが自然の摂理に合っているということです。

今回ブータンを訪れたのは 3月1日〜3月9日までの乾期です。ブータンは北緯26度に位置し沖縄と同じ緯度にあたります。しかし2千メートルを超える標高で四季の変化は長野に近いという場所でもあり ヒマラヤ山脈がそびえる北部地帯の標高は7千メートル、インドに接する南部平原では200メートルと、標高に応じて大きく異なるのです。

今回訪れた東部ブータン ペマガッツェル県チモン村の標高は1500メートルで 朝晩の冷え込みが厳しくダウンジャケットで過ごす反面、日中は半袖一枚という環境での〝身土不二〟をふまえた食のレポートは、はじめから 難題を突きつけられる事となりました。(笑)

〈 3月のチモン村での食材 〜主食〜 〉

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チモン村での主食は、雑穀類が豊富で、食べる量もおかずに比べて7、8割が主食という量でした。元々水田の文化の無いブータンでは白米はインドからの輸入なのですが村で栽培されていた在来種の赤米(おかぼの種類)は、今では村の一部でしか栽培されておらず、ガイドのペマさんのお父さんは、赤米の生産の復活も今後取り組んでいきたいと話していました。

主食は、赤米(パンパラ)、トウモロコシを粉にして蒸したもの、ヒエなどの雑穀、豆類はご飯の上にトッピングする食べ方が主で種類は豊富でした。その他ヤム芋(ジョッタン)、タピオカ(シンジョプタン)、鳥の形の芋(ドクマヨンパ)、長芋(ホーゾン)などは蒸してそのままいただきます。豆と、じゃが芋以外の芋は ここでは主食の分類にしています。

〈 3月のチモン村での食材 〜野菜〜 〉

その他、かぼちゃ(ブルムシャ)、大根(ムッレ)、えごま(ナム)、バナナの花(コーチャリン)、とうがらし(ソロ)、赤い玉ねぎ(ゴッパ)、山椒(ヤンガラ)、パクチー等々。食材は豊富です

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〈 ブータン料理 〉

このように ブータンでの食材はとても豊富で 同じ素材を使って幾つものバリエーションがあります。更に、焼く、煮る、蒸すなどの調理方法の言葉が無いので、食材の名前が料理名になって
いることが多いようです。

例えば、ブータン料理の代表ともいえる唐辛子とチーズを煮た〝エマダツィ〟。ゾンカ語で〝エマ〟は唐辛子。〝ダツィ〟はチーズ。なので〝唐辛子チーズ〟です。じゃが芋とチーズを煮た〝ケワダツィ〟も〝ケワ〟がじゃが芋なので〝じゃが芋チーズ〟という名前になります。(先ほどの写真のカタカナ表記はチモン村での言葉 シャチョップでの表記で、ブータンの公用語はゾンカ語)調味料も至ってシンプルで 塩、山椒、生姜、えごま、などで 食材と調味料の組み合わせで料理のバリエーションは増えて行きます。唯一料理方法として言葉があるとすれば生野菜やサラダを指す言葉〝ホギー〟です。大根(ムッレ)を山椒で和えたものを〝ホギー〟と呼んだり〝ムッレ〟と呼んだりしていました。

ブータン料理は大皿で出される事がほとんどで、各々自分の皿に好きな物を取り分けるビュッフェスタイルになります。私たちはプラスチックのお皿とスプーンでいただきましたが、村の人達はバナナの葉や大きな葉を皿代わりにして 地べたに座り手で食べていました。

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家の中のかまどの上には 吊り天井があり、食品の保存、乾燥を行っていました。麹の元となる麹玉や、唐辛子、山椒、生姜などのスパイス類が乗っています。食事を作るのはアンマー(お母さん)とは限らず、家の人以外も出入りして調理します。それはそれは見事な連携です。チモン村では〝結〟の精神がありました。

〈 ブータンのお酒 〉

〝食〟ということでブータンのお酒について簡単に述べます。(お酒だけでも莫大なレポートになりそうなので)ブータンに来て驚くべき習慣というのが、いつでも、どこでも、朝からお酒を勧められるということです。お酒が弱い人はブータン旅行は難しいかもしれませんね(笑)

お酒の種類

・アラ
日本の焼酎と同じようなもの。米、麦、粟、などの雑穀を発行させてそれを蒸留したもの各家庭によって味にバラつきがあり アルコールが強いもの様々です。

・ゴンドアラ
アラに、バターで炒めた卵を入れたものパーティーや特別な席で出るようですが、最終日の夜に飲みましたが 美味しいものではありませんでした。お腹を壊した時や体調の悪い時にも飲むそうなので日本の卵酒の様な感じでしょう。ブータニーズ ワインと呼ばれることもありますが ぶどうのワインを想像していると とんでもない目に遭う事でしょう。

・バンチャン
発酵させた麦にお湯を注いで溶け出したアルコールを含んだエキスをくみ出した物です。お湯で溶いたものなので 温かく炭酸ガスはありません。

・シンチャン
蒸留したお酒がアラで、蒸留していないお酒の代表格です。麦か粟を使うことが多いのですが、チモン村では先ほど紹介した 鳥の形をした芋(ドクマヨンパ)や、植物の根のでんぷんを使ったりするそうです。穀物の甘さと、発酵した酸味と、濁った感じが日本のどぶろくの感じに似ています。アルコールはあまり感じられず 朝からお酒を勧められるブータンでは こちらをチョイスする事をオススメします。チモン村では シンチャンの事をバンチャンと呼んでいました。

・トンパ
固形のお酒です。発酵させた麦や粟を太い竹などの容器に入れて上からお湯を注ぎ3分くらい待ってエキスが染み出してきた頃にストローを使って飲みます。お湯がなくなったら継ぎ足して飲み、薄くなったらかき混ぜて飲みます。チモン村では残念ながら見かけませんでした。

・チャンケ
お米のお酒。日本の甘酒のような感じで使っている麹が違うとのこと。チャンケもチモンでは飲む事ができませんでした。

・アップルワイン
中央ブータンの名産品。アルコール度数は低く酸味があり発砲しているのでシードルのような感じなのでしょう。

・ウィスキー、ブランデー、ラム、ジン
軍の福祉団体が独占して製造、販売をしているのでそれ以外は密造酒になるとのこと。ウィスキーを戴きましたがあまり美味しくなかったです。

〈 陰陽五行から見たブータンの食 〉

さて、忘れてはならないのは〝世界で一番辛い国〟というブータンの料理についてです。ようやく〝身土不二〟という観点に戻ることができました。スパイスや唐辛子の〝辛い〟というというのは 食べ物の陰陽で述べるところの 極陰性に位置づけされています。極陰性というのは体を冷やす作用があります。お酒もまた、極陰性に分類されます。チモン村での食材でも バナナ、パイナップル、トマト、きゅうり、など熱帯の植物が生えておりそれらも体を冷やす作用があります。穀類ひとつ取っても陰陽が分かれますが、チモンでの穀類は陰性寄りの穀類がとても多いのが特徴です。詳しくは 食べ物の陰陽表を参照してください。

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ブータンの気候風土(北緯26度)、熱帯モンスーン地域。という事だけを考えるならば陰性、極陰性な食文化も説明がつきます。しかし、先にも述べたように 標高1500メートルの気候ではこれは説明がつきません。体を冷やし過ぎてしまいますし、同時に体を温める食材も生息しているからです。

これを説明するのに3つの仮説を立ててみました。

仮説1:ブータンの民族について
ブータンの人口の多数派を占めているのがドゥクパ(ドゥルックパ)と呼ばれるチベット系土着の民族です。ガロン(西部)、ブムタンパ(中部)、ツァンラ(東部)の3つの集団に分類されます。沐浴中の赤ちゃんのお尻には蒙古斑がクッキリとありました。まぎれもない モンゴロイド系民族です。チモン村はツァンラに分類されます。その他にローツァンパというネパール系の民族と少数民族に分かれます。

チモン村の人達の平均的な特徴として(あくまでも平均です。それに該当しない人も居ます)
・身長が低い(140㎝〜150㎝)
・色黒
・細身
・フットワークが軽い みなぎる生命力

この特徴は、陰陽で言うところの「陽性」に該当します。陽性というのは産まれ持った体質を現します。〝陽は陰を、陰は陽を互いに牽引する〟という特徴があるため陽性な体質は陰性な食べ物を求めます。暑い夏に冷たいかき氷が美味しいように、逆の性質を求めます。そうすることによって調和をはかっているのです。すなわちたとえ気温の差が激しく朝晩の冷え込みが厳しくても、体質が陽である以上陰性な食べ物を求めまた、それを食べても体を壊さない。ということが言えます。

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注意※ 陰陽は相対的なもので、絶対的なものではありません.チモン村での大根畑の写真を見てみましょう。地表からニョキっと生えたこの大根は大根の中でも〝陰性〟な大根です。自然農法、自然栽培的な農法であるにも関わらず日本では見られない上に伸びた葉と主根(主軸)が見られます。根菜でありながら日本のそれより陰性な根菜であることがわかります。

仮説2:ダショー西岡京治によるブータンの農業改革
国土の50%近くが傾斜地であり、標高が高く効率よく栽培や収穫が出来なかったブータンの農業。ブータン国民のほとんどが農業をしているにもかかわらず 自給率が60%しかないという現状を改善するために派遣された 西岡京治により、水田(棚田)での並木植えや ブータンにあった野菜の品種改良などから 自給率が上がり、それまでよりも野菜を食べる量が多くなったと言われています。1964年に始まったプロジェクトは 1980年代には定着し、この短期間でブータンにおける食生活は大幅に変化したのではないでしょうか?


仮説3:家畜の屠殺と仏教信仰

チベット仏教を色濃く残しているブータンですが、家畜の死(転落死や数の調整)では解体して食する文化があったようです。ガイドのペマさんの80歳を過ぎるお父さんも かつては狩猟をしていたと話しています。2000年に一人の僧侶が肉食用に処理される予定の牛をシェタ(放生)として買い上げた事を機に、シェタの概念が国民に広がり 2001年に政府は家畜法の改正を行い 動物の屠殺、輸入、販売の規制を設けます。

仮説4:気候以外の要因(空気、光、音、熱、湿気)タルチョー(祈祷旗)がはためく谷の村では 一年を通して乾燥しているのかもしれませんし、熱帯モンスーン地域でもあるので湿潤しているかもしれませんが、ここでも陰陽は相対的なもので比較対象となるものが無いため 陰か陽かを理論づける事はできません。

仮説2、3に関してはごく最近の出来事であり 目に見える民族そのものの体質の変化が出て来るのは7世代後と言われているので、ここでの考察は控えます。ブータンの緯度、標高、民族、気候以外の要因、近年の食の変化など 様々な要因が複雑に絡み合って現在のブータンの食文化が完成したということは 間違いありません。
こんなに寒いのに〝世界一辛い国〟という最初に抱いた疑問が解けたかどうか?自分でもまだ疑問ですが、そういえばブータンで食べた食事はそんなに辛くなかった。というのも事実です。もしかすると戦後の日本より早いスピードで食の変化を遂げているのかもしれません。そして今回は農閑期であったので ブータンにおける農業について 調べることが出来たのならもっと食文化を知ることが出来たのでは?などなど。更に多くの疑問を生み出す事となりました。

また機会があればもう一度 行ってみたい国。大好きな国の一つブータン。衣食住の自給を探す中でブータンという国に〝懐かしい未来〟を見つけることができました。

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