森と子ども

2011年10月14日

藤岡 亜美

鹿児島市のデパートの映画館で、セヴァン映画の前に高橋昴くんたちが企画した対談で、ポスト311の、いまを多分世界を変える最後で最大のチャンスと認識して、「もうみんながセヴァンになろう!そして、子どもについていこう(子どもの何が大事かわかる子どもの心に)。」という話をしてきました。

2日間遊びにきてくれたサイクル・サムくんが写真載せてくれていますが、面白かったです。(写真はこちら

ああいう場所で、脱原発のことをどんどん発信していくこと、ひとつの道筋だなあと思いました。火のキャンプもそうとうたのしそうだね、オール電化なんて、人類が火を起こしてから今まで続いて来た文明の終わりだと思います。

東京のグローバルフェスタは国際協力のイベントで、JICAや大使館などが寄付をつのるために、出張ついでに購入してアフリカかってきたお土産物を、安く売ったりしています。フェアトレードは、そこではまだまだ「お買い物で国際協力」という風にとらえられているけれど、それはお金のものさしで、世界をみたときだと思います。この10年くらい、小さくでも継続的につながってきたエクアドルの生産者は、まずみんなで話し合って、開発はいらないと判断し、その代わりに森に樹を植えたり、お古で工房を作って近所の有機農産物を加工したり、一つひとつ着実に、自然を守りながら足元を豊かにしている。ポスト311のフェアトレードは、そういう生産地をモデルに「地域と地域でつながって、いのちを大事にする世界、自前の安全保証をつくっていく試み」だと思います。そこでのものさしは、人びとの当たり前の暮らし、綺麗な水と、空気と、土。子どもたちがやママが、当たり前に大事と思っていること。

ナマケモノ倶楽部には、フェアトレード以外にも、アンペアダウンとか、キャンドルナイトとか色んなキャンペーンがあって、多くの人に「私も参加できるんだっ」ていうきっかけになります。フェアトレード商品に興味を持ってくれるひとたちにも、そういうことを伝えるには、都会に居るのが便利でした。東京中心の、大量生産大量消費の消費スタイルにのっかりながら、エクアドルのつくり手とのつながりを発信してきました。

でも、311で、世界の有り様がはっきり見えて、家族で、どんな風に生きたいのかを考えたとき100年先にまで汚染を残した私たちは、100年先の子どもたちに伝えられる何かを持ってるんだろうか?それ以前に、「このあとの100年間を豊かに生き延びられる暮らしがここにあるだろうか」と考えました。

大量生産大量消費の物語にどこかで連なっていると、だんだんと頭ばかりを使っている。311以降しばらく、原発と、いのちを優先できない社会の仕組みに絶望してると思ってたんだけど、そういう自分にもがっかりしていることに気づきました。「もっと根っこから土とつながりなおして、身体を頭のてっぺんから足の先までつかって、自分のエネルギーで、生きたいなあ。」と思いました。

震災後、私たちが放射能より衝撃を受けたのは、買い占めのニュースでした。テレビでスーパーやコンビニの棚が空になっているニュースをみて、東京に戻りたくない、と思いました。水や食べ物という暮らすのに基本的に必要なものが、買うことでしか手にいれられないということ。隣人と一緒に生き延びようとするのではなくて、我れ先にと食料をひとりじめしようとしてしまう。政府からは、きっと本当の情報は出ないだろう、とは予想していたけれど、東京のコミュニティはもうちょっと信じていたので、簡単に買い占めが起きたことは悲しかったです。

胎児に導かれてやってきた九州で、逆の衝撃を受けたのは、お裾分けのやりとりです。誰かのところで沢山とれたものが、おすそわけされ、またおかずに姿をかえて、違う何かに姿をかえて、めぐっていく。特産品のオクラなんて、まるで地域通貨のようにぐるぐる。季節や生態系のありように地域の人たちと一緒に寄り添って、その恵みを分け合う。食べものが、コミュニティの中で、停滞することなく、リズミカルに、思いにのって、循環していく。気をおくる、きにかける、「あなたのことを考えてますよ」っていう気持ちが、メールでも、電話でもなく、伝えられて満たし合う。帰ってきた玄関に、三輪車のカゴに、はっ嬉しくなる形で置いてある。その絶妙な案配や、気持ちを目に見える形で届け合う、濃密なコミュニケーションが流れているから、限界集落とよばれていても全然寂しくないし、あんまり暇でもないことに気づいてしまいました。近所のおばあちゃんたちが、みんな、ものすごく高い交流能力をもっています。

このあいだの台風による水に際しておもったことは、もっと樹を植えたい、森に隠れたい、ということでした。尚くんが宮崎の山奥、椎葉村で会った人たちが制作してた、森の焼き畑をするくに子おばあの番組をみました。山をみて、風をよんで、火を放ちます。土のなかにもぐっている森の番人である虫たちが、森を耕しはじます。そこに蕎麦を植えて、小豆を植えて、何年目かに大豆を植えたら、あとは森にかえしてゆく。人が森に働きかけることで、森が生き生きと蘇っていく。すぐ近くに、そんな高度な文化があるなんてびっくりしました。お正月、自分たちをいかしてくれている森の樹に、家族でいのる姿は、まっすぐで心がうたれました。

いま、あいている時間には、何度も海に入ったり、山で遊んだり。ここの生態系に、どっぷり浸かっています。子どもだけでなくわたしたち大人も、地球に遊んでもらってるかんじがします。あそびをせんとやうまれけん! いろんなものをそぎおとして、充填したい。今日は、SWcの出荷が終わって晴れたら、畑をつくって種をまきます。(なんとアボガドの種も出たよ。ワクワク。)チョコレートと、この地域の特産の柑橘類をつかって、加工食品も作りたい。日本のいちばん南のほうから、原発をとめて、インタグみたいに、杉山を「食べられる森」にしてゆきたい。子どもたちといっしょに、みんなが隠れられる森をとりもどして、土とつながって生きていく。

それが都会のレボリューションやナマケモノ的な暮らしとどう響き合えるのか、土と平和の祭典に上京するときに、深く考えたいと思います。

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