イベントレポート

2020年04月16日

追悼:C.W.ニコルさんとナマケモノ運動(番外編)

ニコル’s Barにてクラフトジン「こころ」にサインをするニコルさん(2018年夏至)

ナチュラリスト、作家として活躍、長野県黒姫に「アファンの森」をつくり、森づくりを通して、子どもたちの未来、そして地域再生へと想いを紡いでいたC.W.ニコルさんが、4月3日、79歳で永眠されました。

ご冥福をお祈りするとともに、ナマケモノ倶楽部での交流からいただいたメッセージを、みなさんと一緒に振り返ることで、少しでもニコルさんに恩返しできたらと思います。
(前編はこちら、後編はこちらをご覧ください)

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カフェゆっくり堂の入り口には「ニコル’s Bar」の看板
ニコルさん自らジンを作ってくださいました!

2018年6月23日夜、キャンドルナイト夏至の夜に横浜戸塚のカフェゆっくり堂で開催された「ニコル’s Bar」。ニコルさんが辻さんに、「ぼくが行くならバーもやりたいからね」と話をもちかけてくださったことで、実現したスペシャルな機会です。

当日はニコルさん自らカウンターでお客さんにクラフトジンを作ってくださる場面も。クラフトジンを片手に伺ったニコルさんと辻さんの会話の中から、いくつかの言葉を紹介させていただきます。

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ニコルさんと辻信一さん(左)

黒姫での自然体験がクラフトジン誕生の原点

辻:ニコルさんのクラフトジン「こころ」。これはどういう風に生まれたんでしょうか?

ニコル:私の甥のジェームスは若い銀行マンで、スコットランドのエディンバラに住んでいます。彼が8歳の冬、1か月間、黒姫に滞在したんです。

ある日、「ジェームス、山に行こうか?」と彼を誘い、かんじきを履いて出かけました。ティピで3日間、彼と犬と一緒に過ごしたんです。外の雪は4メートル。でも、ティピの中は囲炉裏があって、毛皮とかシュラフとかで暖を取りながら、いろんな話をしました。すごくよかったんです。

電気の全くないところで、ぼくは野生のウサギをとったり。鳥の声が聞こえたりね、彼にとってすごく印象的な時間を過ごしたわけ。ジェームスは40歳を過ぎてもそのことを忘れてなかった。

それで、4年前に再び彼が日本に来たとき、こう言ったんです。「これからジンが流行るから、おじさん、日本のタッチがほしい。何か美味しいものはないか?」

ぼくは「ここ(アファンの森)の青山椒を入れたらいい」と答えました。青山椒は、香りはあるけど味はないんです。だから、他の味を活かす。他のものを入れることで、ぴりっとして美味しくなる。

辻:へえ!

ニコル:ぼくが森を歩いてて、これから湧き水のところに行こうと思ったら、5分くらい前から青山椒をかんで、口の中をピリピリさせるの。そうしてから山のおいしい湧き水を飲むと、シャンパンのような味がするんです。

ポスター右に写っているのがニコルさんの甥、ジェームズ・ニコルさん。
ボトルの封印には「森の魂」の文字。

ニコル:それで、彼がクラフトジンをつくってね、今、けっこう売れてるの。一流の英国レストランとか日本のレストランで使ってもらっています。日本の食事に合うんですよ。

辻:それは山椒のせいですか?

ニコル:そうだと思います。ドバイ、香港、シンガポール、カナダ、先月から日本でも販売してる。ぼくはアドバイスだけで、商売は甥がやってます。彼との約束は、日本で売れた何パーセントかを森に返すこと。ぼくは飲む専門(笑)。

熱量たっぷりに話してくださるニコルさん

自然からの小さな喜びは、私たちをやさしくしてくれる

辻:ぼくが昨日お話を伺って感動したのは、アファンの森を個人の所有ではなく、法人化した点。なかなか日本の中にそういう発想はないと思うんです。 これからアファンの森はどういう役割を果たしていくのでしょう?

ニコル:人類は自然をどんどん破壊していて、 今も続けているわけです。でも同時に、私たちには自然の傷を治す力もあると信じています。

辻:人間が自然の再生のために貢献できると。

ニコル:はい。ぼくが生まれた南ウェールズは産業革命以降、自然がすごく破壊されて、川も汚染され、地滑りなどの災害も起きました。

1960年代に、学校の先生たちが呼びかけて「自分のたっているところを愛そう、未来を信じよう、人と一緒に何かいいことをやろう」と、子どもたちと炭鉱採掘ではげ山になったところに木を植え始めたんです。それが大きな運動になって3万ヘクタールの森によみがえり、ついには国立公園に指定されました。その公園の名前がアファン。ウェールズ語で「風が通る谷間」という意味です。

辻:風が通る谷間。

ニコル:日本でも大規模な伐採による地滑り、洪水といった自然災害が起きているのを見て、ぼくは小さくてもいいから森をつくろうと決めた。

辻:その森にアファンと名付けたんですね。未来を信じると。

ニコル:今、南ウェールズの森林面積は60%です。川にはサケやイワナ、カワカラス、カワセミなど自然が戻っています。

辻:そういう意味では日本にも希望はあると。

ニコル:どんな国よりも希望はあるはずです。黒姫の小さな森でもクマが来ます。20年続けてフクロウも来ます、今年はフクロウが4羽育ったんですよ。 絶滅危惧種の59種が我々の小さな森に戻っています。
自然からの小さな喜びは、重なると大きな喜びになります。私たちは自然からの小さな喜びでやさしくなれるんですよ。

辻:それが本当の豊かさですよね。

ニコル:森を取り戻すには長い年月がかかります。毎年、木に年輪ができるでしょう?少しずつ、少しずつよくなるんです。ぼくはそれを信じてやっています。

リラックスした雰囲気で話をされるニコルさん

海の栄養は森の栄養になる

辻:サケをとって森の中に置いてくるという話をもう一度していただけませんか? デヴィッド・スズキと三人で会った時にも、あの話で盛り上がりましたよね。

ニコル:4年前に亡くなった義理の息子は、カナダでサケが戻れるようにと、川の再生に取り組んでいました。ひどい森林伐採のために砂利が川に流され、土砂でいっぱいになったのを直す仕事です。それを取材してテレビ番組を作るために、私もカナダへの撮影に一緒に行きました。

クマは個別で行動する動物ですが、サケが上るときだけはクマもたくさん集まるんです。彼らも自分の好きな漁場があるの。でも、周りにクマがいると自分の捕ったサケを落ち着いて食べられないから、100メートル以上離れた場所にもっていって、柔らかいところから食べ始めます。

ところが、食事の途中でも、他のクマが自分の場所で漁をしているのを見つけると、食べかけをぽいっと捨てて、すぐに川に戻る。その行動パターンを計算すると、クマ一頭あたり、800匹くらいの食べかけのサケを捨てていることになるそうです。
その捨てられたサケは、どうなると思いますか?

サケの産卵期の森の中で深呼吸はやめたほうがいいよ。くっさいの。捨てたサケにはウジがいっぱい動いている。それを狙って鳥もいっぱい来ます。こうして海の栄養が森の栄養になります。そして、山のミネラルがまた海に流れていく。

辻: ぼくもカナダで見た、サケが遡上する光景は忘れられないですね。森の陰からのぞくと、もう大パーティ! ありとあらゆる動物が集まってね。

デヴィッド・スズキに聞いたんですが、そのウジが蠅として飛び立つところがまたすごい。一挙に羽化すると黒い煙のよう。するとちょうどそれを見計らったように、渡り鳥がやってくる。それを餌にして、元気になってまた次の場所に飛び立っていく。これが寸分の狂いなく、毎年行われてきたっていうんです。
その奇跡的なサイクルが、今、気候変動で崩れはじめているわけですね。

What are we gonna leave?ー私たちは何を残すのか?

ニコル:私にも孫がいます。神様のいたずらかもしれませんけど、この「青い目の赤鬼」が日本で森をつくっている。
その私が、「What are we gonna leave? 」何を残すのか、これからどんな自然を孫に残していくのかと、最近、そのことをよく考えるんです。 

2016年冬、約束していたのに戸塚に来れなかったのには理由があります。病気になって大きな手術をした。もう大丈夫なんですが、そのときに色々考えました。

今までに本を出したり、美味しいウィスキーを出したりしました。それはそれでいい。でも、それより、小さな森、小川ひとつでも残せたらいいなと。それならぼくがティーンエイジャーのときに会ったシャーマンにも、「まあまあがんばったな」といってもらえるかなって。

辻:何を残せるのか、この問いは胸に響くなあ。

ニコルさんは、アファンの森を自分の所有にしないで、それを手放している。でもそれは無関係になるということではなく、それを関わり、育て、残していくということです。

ニコル:ぼくは日本にお返ししたかったんです。そのほうが幸せです。だって、もともと日本の大地はクマの森、フクロウの森だったから。

私が日本人というとき、ただ人間のことだけを考えるわけではありません。クマもキツネもフクロウも、それも含めた日本だと思っています。

国を愛することは大地を愛すること。だから、流れる川を汚しちゃダメなんです。空気もそう。もともと日本人の心にはその大地を愛する気持ちがあると、私は信じています。

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ニコルさんからいただいた言葉を大切に、これからも、森を守り、私の中にある森を育てていこうと思います。
謹んでご冥福をお祈りいたします。(ナマケモノ倶楽部事務局)

C.W.ニコル アファンの森財団 https://afan.or.jp/  
C.W.ニコル 自然再生基金 https://afan.or.jp/cwnicol-memorial-fund/

著書にサインをするニコルさん
2020年04月14日

追悼:C.W.ニコルさんとナマケモノ運動(後編)

2018年夏至、ニコルズBarでカウンターに立つニコルさん

ナチュラリスト、作家として活躍、長野県黒姫に「アファンの森」をつくり、森づくりを通して、子どもたちの未来、そして地域再生へと想いを紡いでいたC.W.ニコルさんが、4月3日、79歳で永眠されました。
2018年6月22日、23日に横浜戸塚で開催されたキャンドルナイト夏至でのニコルさんの言葉をみなさんと一緒に振り返ることで、少しでもニコルさんに恩返しできたらと思います。
(前編はこちら

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学生チームで企画制作したキャンドルナイト2018夏至ポスター。
テーマは「We the Forest, Forest in Me」

キャンドルナイトにニコルさんをお迎えして

2018年6月22日(金)、横浜市戸塚に400年続く浄土真宗本願寺派善了寺本堂にて、「キャンドルナイト夏至2018」が開催されました。辻信一ゼミ3年生たちが考えたテーマは、「We the Forest, Forest in Me-私たちにとって森とは?」。

黒姫からアファンの森の活動に取り組むC.W.ニコルさん、北海道二風谷(にぶたに)でアイヌ民族として森の再生に取り組む貝澤耕一さん、パタゴニア日本支社長(当時)の辻井隆行さん、音楽に瞑想のピアニストとして国内外で活躍されるウォン・ウィンツァンさんをお迎えしました。(イベント概要はこちら

対談もとても深い内容だったのでまた別の機会にシェアしたいと思いますが、ここではニコルさんの言葉を中心にみなさんと分かち合いたいと思います。

辻さんと明治学院大学のゼミ生たち
成田住職による平和法要

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木は、光に向かってお祈りをしている

ニコルさんの特別メッセージ

ニコル:森がなかったら文明はないですね。山があって、森があって、いい水がある。今の私にとって森は癒しの場所です。

ある老人に言われたんです。「見てごらん。木はみんな、光に向かってお祈りをしている。」その光の力をいただいて、人間は酸素を吸って生活をし、材木をつくって海に繰り出している。ぼくは森がすべてだと思います。

辻:ニコルさんの「日本を愛している」という確信ていうのかな、ゆるぎない言葉を聞くと、本当に心を揺さぶられます。そのときの日本は森の国なわけです。

ニコル:日本に何種類の木があるか知ってますか?
アメリカ全体でもともと490種類。日本は少なく見ても1300種。日本はこんなにも森の多様性が豊かなんです。

辻:気候変動でこれからどうなるかわからないけれど、この国は、それをレジリアンスで、 しなやかな強さで乗り切っていく潜在的な力をもっている、そういう恵まれた国ということですね。 

ニコル:ぼくは開発じたいは反対じゃないです。ただ、開発が自然と文化を壊すならば、それは建設ではなく「破壊」ではないかと思います。

森をイメージしたキャンドルアート

自然との遊び方がわからない子どもが増えている

ニコル: Children needs to play、子どもは遊ばないとダメ。子どものとき、森とどのくらい深い関係を作れるかがとても大事です。今、西洋では子どもたちの「自然欠乏症候群」が心配されています。自然との遊び方がわからない子どもが多い。

辻:さっきニコルさんが言われた自然欠乏症候群ですが、世界中でこの言葉が大事なキーワードになっているのに、日本ではなぜかこの言葉がぜんぜん広まらないですね。

ニコル:どういう症状がでるかというと、まず、子どもがすぐキレる。友達が作れない。よく泣く、騒ぐ、転ぶ。転ぶとケガをする。大人になると、判断力が遅い、鈍い。友達ができない。いちばん悪いことに恋愛ができない。

辻:人を愛することができない。 いま現代文明が、いちばん基本的なところから崩れているな、と思います。森を破壊することは、ぼくたち自身を破壊することになってる。

でも逆に、ニコルさんがやっているように、森を育てれば、「森が我々を育ててくれる」ということですね。

進行役をつとめる辻信一さん(左)
戸塚で農作業に取り組む学生たちのブース

私たちは木登りというDNAを持っている!

ニコル:木登りを研究して博士になった私の友人、ジョン・ギャスライトは、木登りをしている子どもは、すごく落ち着いて安心感がある子と言います。これは、ぼく自身も子どもの頃、木登りをして感じたことです。あまりに上りすぎると、アドレナリンが入って興奮しちゃうけど。

自然の中にいると、人間の脳はα状態になります。とくに背後を大きな木とかテントに守られていると、人の話をよく聞くことができる。焚火を見ていたり、小川の音を聴くともう、ほっとしますね。私たちには木登りや自然とともにありたいというDNAがあるんです。

辻:今日のタイトル「Forest in Me」は 学生たちが考えてくれたんですけど、森は我々の中にまだある、そこに希望があるということですね。

消灯後のキャンドルトーク
ウォン・ウィンツァンさんによる、キャンドルナイトコンサート

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2日目夜は、ニコル’sBAR開催!

翌土曜日も雨のなか、キャンドルナイトトークとマルシェが開催され、夜には、辻さんたってのリクエストで「ニコル’sBAR」が一晩限りでオープンしました。そこで伺ったニコルさんのお話も素晴らしいので、前編・後編に続く番外編として、お伝えします。ご期待ください。

2018年07月12日

レポート:20018/7/6、Bar SLOW~ローカルで紡ぎ出される仕事~

インドブッダガヤの手仕事で作られた洋服を日本で販売しているEthical Fashionブランドnimai-nitai代表の廣中桃子さんと、一緒に働いている夫のカランさんがカフェゆっくり堂に来てくれました。(公式サイトhttp://nimai-nitai.jp/

ブランド名のnimai-nitai(ニマイ-ニタイ)は、ニマイというインドの優しい神様と、その兄のニタイという神様に由来しており、インドと日本が兄弟の様な関係でブランドを創っていこうという事から名付けられたそうです。

今回は起業に至ったきっかけから、現在の心境までを伺いました。

インド最貧困層ブッタガヤの貧困を解決したい
起業に至った最初のきっかけは、高校3年生の時にあったそうです。
政治経済の授業の中で「アフガニスタンの難民問題」を知った時に、自分の事ではあまり頑張れそうにないけど、何か困っている人々の為だったら、とても頑張れる様な気がしたという桃子さん。
その後、フィリピンのスラムを支援している団体でボランティア活動をしていく中で、「本当に人助けをしている人は誰だろう?」と思い、マザーテレサの事を強く意識しだしたと言います。
そしてインドのマザーテレサの施設に行き、自分と同年代の人々の過酷な状況を見て、「なぜ生まれた国が違うだけで、こんなにも境遇が違うのだろうか?」と感じ、「こういう境遇の人達の為に生きていきたい」と強く想ったという。この桃子さんの根底にある想いがnimai-nitaiが生まれるきっかけとなり、「ブッタガヤの女性の仕事を創る」という壮大な夢の下、ブランドが生まれました。

ブランド立ち上げ、そして現地パートナーの裏切り
しかし、必ず実現できると思っていたものの、起業当初は様々な困難があったそうです。
一緒に働いてくれる現地の方々は80人程度とたくさん集まったものの、彼女らには洋裁の技術は全くなく、また言葉が通じず、道具すらも満足にない状況の中で、全てを一から始めていった桃子さん。
それでも苦労して作り上げたタオルやストールは、仕立ては全然駄目だったけど、手紡ぎ手織りの生地は風合いが良く高評価だった為、何とかやりくり出来ていたそうです。
その後、起業支援を獲得して村に長期滞在したり、援助を受けて作業センターを建設したりして、少しづつ前進していった矢先、信頼していた現地パートナーの裏切りが発覚します。そして、このセンターでは働く事ができなくなった為、首都デリーに一旦戻って、自分達の工場を作る事になりました。この時は精神的に非常に辛い時期だったと言います。

再スタート、信頼できるビジネスパートナーとの出会い
また村に戻って、小さな部屋を借りて再スタートした桃子さん。
この時期に夫のカランさんと一緒に働き始めたそうです。
村に入ったきっかけは、足に障害を抱えた仕立屋さんとの出会いでした。
出会った当時の彼は、技術が低く、200円/月程度の稼ぎしかなく、全然やっていけてない状況でしたが、仕事に対する姿勢や人間性が凄く良かった為、依頼する事を決めました。
最初は全然笑ってもくれず、(インドでは当たり前の)チャイの歓迎もなかったそうですが、今では強い信頼関係にあり、一生懸命がんばってくれているそうです。(稼ぎも1万円/月にアップし生活も豊かになったそうです)

現在の想い、起業時からの心境の変化、村人との関係性
最初はインドの人が貧しくて可哀そうだと思っていたので、作られた製品に対して、出来るだけ良い価格で取引していたが、作業者が怠けてしまって、品質が全く上がらなかった。
ただの施しになってしまっている状況だった。
その時にサティクマールさんとの出会いがあり、相談したところ、「君がまだ凄く上から目線で見ているからだ。やるべき事はガンジーに学んで、村で同じ様な生活を送って、全ての行動を村人と一緒にしなさい。」と助言を貰ったそうです。
それから私情は挟まず、完全にビジネスとして割り切るようになったという桃子さん。
夫の協力もあり、村人との距離が徐々に近くなっていった事で、同情する事はなくなり、今では同じ目線で物事を見れる様になってきたと言います。

辻さんとの出会い、そしてブータンへ
ここでカフェゆっくり堂店主の辻さんから、ブータンで実施しているコットン再生プロジェクトの話がありました。
かつてブータンは衣食住全て100%自給で、地産地消でやっていた。
その中でも衣を最も大切にしていて、お金がない人でも凄い服装をしていた。
ところが、今から35~40年前に、インドから安い工業製品が大量に入ってきた為、完全に衣服の製造を止めてしまった。(この現象は日本でも同じこと)。
世界中、食糧の自給率はある程度残るけど、衣服に関しては完全に0%になる。
そこで失われた衣の文化を復活させる為、ブータンでコットンの再生プロジェクトを始めた。
幸運にも種子が見つかり、またノウハウも村の年配者が持っていた為、35~40年ぶりに復活させる事ができた。
そして、このブータンの生地を使用した商品開発を桃子さんに依頼した。
実際に現地にも訪れた桃子さんは、生地を受け取り、試行錯誤の末、ようやくバックを完成させたと言います。

ガンジーの糸紡ぎ運動
観客として来ていた極楽寺のスパイス商アナンさんからも素敵なメッセージを貰いました。
100年前を考えてみて欲しい。
イギリス留学から帰ってきたガンジーは考えた。
「どうやってイギリスはインドを楽々と植民地化できたのか?」
それは決して軍事力ではなく、衣によってだった。
かつてイギリスの貿易は2%に満たなかったが、糸の貿易で拡大していった。
当時インドの人々が着ていたものは、全てイギリスの工業製品だった。
インドではコットンは育てるだけになっていた為、種を外したり、糸を紡ぐ事ができなくなっていた。かつては皆できた事なのに、若い世代は何も分からなくなってしまっていた。
それでガンジーは糸を紡ぐ運動を開始した。
そしてこれがインド独立の最も大きな力になっていった。
そういう意味じゃ、桃子さんが今やっている事や、ブータンのコットン再生プロジェクトも、100年前にガンジーがやっていた事と同じ事なので、とても素晴らしい事だと思う。

本当の意味でのフェアトレード
イベントの最後に、聞き手のカフェゆっくり堂店主の辻さんより、感想を頂きました。
一番感動的だったのは、ビジネスパートナーである足の悪い仕立屋の表情が変わったこと。
これは決して、お金に余裕が出来たからではなく、生きる意味を取り戻したからではないだろうか?
お金だけのフェアトレードはとても一面的なもの。
最も重要な事はこういった事ではないだろうか。

かつて釈迦が悟りを開いた地ブッダガヤで、今日も手紡ぎ手織りで作られた素敵な洋服が作られてます。

2016年08月05日

レポート:7/7、七夕の夜に平和を願う アンニャ・ライト トーク&ライブ

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(撮影:パルシステム東京)

ナマケモノ倶楽部共同代表のアンニャが、家族でのスローでシンプルでスモールな暮らしを生きるツアー、Slow Safariツアーのファイナルイベントが、パルシステム東京本部にて行われました。

>>イベント詳細はこちら。
(さらに…)

2016年06月02日

【レポート】5/8、セヴァン・スズキのBe the Changeツアー2016 @東京

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東京を皮切りに、京都、岡山、福岡、北九州と5か所でのトークイベントに参加した、世界を代表する環境文化活動家、セヴァン・カリス=スズキさん。「Be the Changeツアー2016~ミライノセンタク」と題された今回のツアーのキックオフに当たるイベントを、東京で担当させていただきました。
>>ツアー公式HP http://www.severn2016.com/
(さらに…)

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